私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一

山田太一『終りに見た街』が帰ってきた

都心に通う生活者が暮らすようなベッドタウンに住む一家族。ある日、彼らは戦時下に家ごとタイムスリップした。主人公が幼いころに親しかった友人とその息子も何故かいっしょで、便利な生活に慣れきった彼らは戦時中に叩き込まれる。せっかく未来を知ってい…

山田太一インタビューがスタジオジブリ広報誌「熱風」にて連載スタート

2017年から2023年まで、山田太一先生(昨年11月に逝去)の全作品インタビューが行われています。

山田太一 インタビュー(2006)・『異人たちとの夏』(2)

――山本周五郎賞の審査員もされていましたね。

山田太一 インタビュー(2006)・『異人たちとの夏』(1)

山田太一原作のイギリス映画『異人たち』(2023)が公開された。原作となったファンタジー小説『異人たちとの夏』(新潮文庫)により山田先生は1988年度の山本周五郎賞を受賞。そのときの経緯のほか、ファンタジーなどに関して語られたインタビューが、2006…

「ユリイカ」山田太一特集号に寄稿

「ユリイカ」2024年4月号(青土社)が、昨年11月に逝去した山田太一先生を特集しています。

ほんとうに家族はいいものかしら・『今朝の秋』(2)

『今朝の秋』(1987)は脚本の山田太一にとって愛着のある作品のようでトークイベントでも自薦の1作として挙げて「家族全員の心は通っていない。でも最期だから芝居を、家族団欒の芝居をしようと」「(ラストシーンの)笠さんと杉村さんも、心が通っていない…

ほんとうに家族はいいものかしら・『今朝の秋』(1)

前妻(杉村春子)に男と去って行かれ、蓼科にてひとりで暮らす80代の主人公(笠智衆)。彼のもとへ息子(杉浦直樹)の妻(倍賞美津子)が訪れ、息子ががんで余命わずかだと告げる。息子とその妻は不仲で家庭は冷え切っていた。

山田太一脚本 × 鶴田浩二主演『シャツの店』メイキングを振り返る(2)

『シャツの店』(1986)の主人公はあくまで時代遅れでコミカルで、たしかに『男たちの旅路』シリーズのように作者の意図を越えてヒーロー化してしまう懸念はなさそうではある。しかしそれでも鶴田浩二の目つきやたたずまいにはかっこよさを感じさせるものが…

山田太一脚本 × 鶴田浩二主演『シャツの店』メイキングを振り返る(1)

任侠映画などで存在感を放った名優・鶴田浩二。その鶴田の遺作になったのが山田太一脚本によるテレビ『シャツの店』(1986)である。筆者は幼いころからこの作品をくり返し見ており、その制作過程を改めて振り返ってみたい。

『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉 山田太一未発表シナリオ集』が刊行

脚本家・作家の山田太一先生の未発表作品を集めた『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉 山田太一未発表シナリオ集』(国書刊行会)が10月20日に発売されます。収録内容は『ふぞろいの林檎たちⅤ』『男たちの旅路 オートバイ』『今は港にいる二…

深町幸男演出 × 山田太一脚本『シャツの店』聖地巡礼(ロケ地探訪)- 中央区

傑作ドラマ『シャツの店』(1986)の舞台となった東京・中央区。主にはセットだがロケ映像も差し挟まれている(撮影は1985年7月から9月にかけて行われた)。 【中央区湊】 第1話

山田太一 講演会@いわき演劇鑑賞会(2003)

山田太一先生は、2003年に福島県いわき市にて講演を行なった。小説作品『異人たちとの夏』(新潮文庫)などについて述べられており、いまはなくなってしまったのでいわき市のサイトより引用したい(明らかな誤字は訂正した)。なお文中に「40代の終わり」と…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(6)

物語をとおして現実の自分を見つめる 自分史を書くことが、このごろはやっております。自分のことを書くのはとてもよいことです。しかし、自分が死んだあとに、子どもが読んだり、だれかが読んだりすることを考えると、どうしても自分のことを飾ってしまいま…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(5)

ドラマというのは有機体のようなものだと、私は思っています。無意識の部分や理屈にあわない部分が排除されたドラマはつまらない。すべてが論理的で、全体が明晰に見渡せるドラマは、とてもうさんくさいのではないかと…。 『荘子』という本におもしろい話が…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(4)

テレビ番組なども、あたりさわりのないものがよいとされています。何年か前に、「このごろバカが多くて疲れますね」と桃井かおりさんがつぶやくコマーシャルがはやりましたが、すぐ放送禁止になってしまいました。バカというのは、病気の方や障害者の方を言…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(3)

変わらない「物語」と、変わりつづける「現実」 いかに絵空ごとのドラマであっても、物語と現実とは互いに連動し、関わりあっていなければ、みんなを楽しませることはできません。

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(2)

質よりも量に価値を求めるテレビ業界 人間の権利、人権は平等ですが、人間の存在は平等ではありません。存在までもが平等なら、男性はみんなキムタクとおなじ顔をしていなきゃ不平等ですし、女性は沢口靖子さんみたいな顔をしていなきゃならない(笑)。けれ…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(1)

1997年9月25日に、脚本家の山田太一先生の講演がNHK京都文化センターで行われた。講演は小冊子「物語のできるまで」(オムロン)にまとめられており(刊行時に加筆されている)入手することができたので以下に引用したい。明らかな誤字は訂正し、用字・用語…

チロリアンワールドへようこそ・『チロルの挽歌』(2)

「映画すら追い抜かれるのでは」という言を見るに高倉健にとって、映画がテレビより格上というのが “常識” なのだろう。

チロリアンワールドへようこそ・『チロルの挽歌』(1)

定年を前に自分を変えたくて、北海道でのテーマパークの仕事に志願した鉄道技師(高倉健)。炭鉱閉山で人口が減った町の再生を図るプランだった。彼はその地で、別れた妻(大原麗子)と奪っていった男(杉浦直樹)に再会する。

山田太一原作(森崎東監督)『藍より青く』をめぐる批評

1972年、山田太一脚本の朝の連続テレビ小説『藍より青く』が大ヒット(当時は朝ドラなどという呼称はなかったかもしれない)。翌1973年には松竹で映画化された。

輿水泰弘 × 井土紀州 × 金子修介 トークショー レポート・『あなた買います』(2)

【『あなた買います』について (2)】

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(7)

SFについてどう思うかというご質問ですけれども…。

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(6)

学生時代、寺山修司と友達だったそうだけれども、彼についてどう思うかというお話でしたが…。 これは同級生だから知りあったんで、本当に自然発生的な友達ですよね。全然関係ない人間が求めあって、どこかで会ったというんじゃなくてね、同級生で仲良かった…

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(5)

演出家と脚本家の関係みたいなことについて、脚本家側からどう思うかということですが。で、どういう違いがあったか…。

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(4)

ピンク産業についてどう思うかということなんだけれども…。 今は鈍感を競い合うようなところがありますよね。男なんか特に鈍感だと男らしいと思われるところがあってね…。でも、大体セックスっていうのは哀しいもんていうのかな、離れてみると哀しいよね。ど…

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(3)

『早春スケッチブック』をご覧になった方には余計なことだけれども、小市民社会、僕も小市民社会の中で臆病に生きている人間ですけれども、そういうところで生きている人間の価値観みたいなものをね、テレビというのは実に批評しないわけですね。テレビを見…

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(2)

映画の場合当然だけれども、面白いか面白くないかということで判断するんですね。でも人間の事実の中ですばらしいけど面白くないものってものも、ものすごくあるわけですね。面白くないものは省いてしまう、描写できないってふうになっている。それから、ス…

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(1)

脚本家の山田太一先生が代表作のテレビ『早春スケッチブック』と『ふぞろいの林檎たち』を相次いで送り出した1983年に、フェリス女学院大学にて講演を行った(1983 年11月3日)。その記録を入手したので、以下に引用したい。用字・用語は可能な限り統一し、…

深町幸男演出 × 山田太一脚本『シャツの店』聖地巡礼(ロケ地探訪)- 目黒

鶴田浩二の遺作である傑作ドラマ『シャツの店』(1986)。セット撮影の多い作品だが、ロケもあった。1985年の秋に撮られているようで、34年後のロケ地訪問となる。 【目黒のアパート】 第2話