大森一樹
映画『ヒポクラテスたち』(1980)、『すかんぴんウォーク』(1984)、『「さよなら」の女たち』(1987)、『ゴジラvsビオランテ』(1989)など多彩な作品を連打した故・大森一樹監督。大森氏は大阪芸術大学教授で映像学科長も務めていた。その時期の思いを…
大森「原発の被害で避難している人たちのところへ行ってパンを配るとかいうよりも、原発の避難の仕方はこれでいいのかという声をまとめていく。何か考えたらいいんじゃないかな。そのための情報を集めていくことが大事じゃないンかな」
井上「次の日、大震災当日には東京へ?」 大森「八戸に泊まって、次の日、大阪へ飛行機で帰ろうかと思うてたんやけど、他の人たちがみんな東京へ帰ると言うから東京へ行って、次の日、東京から大阪へ帰ろうとしていた頃に揺れて…。下北沢に、一部屋を事務所…
1995年の阪神大震災で被災した大森一樹監督。当時の体験をつづった著書『震災ファミリー』(平凡社)もあり、被災した映画人として東日本大震災後に改めてインタビューに答えている。日本映画監督教会のサイトに載っていたが、なくなってしまったので以下に…
出身地の関西を舞台に、自伝的な『ヒポクラテスたち』(1980)や村上春樹原作『風の歌を聴け』(1981)などを撮ってきた大森一樹監督。
【ゴジラと自衛隊 (2)】 ユニークなのは、ゴジラ出現に備えて防衛庁(当時)が警戒体制をを敷いているところ。
【ゴジラについて】 品田「ゴジラ自体(の造型)は安丸(安丸信行)さんと小林(小林知巳)さん」 大森「つくったときに来いと言われたけど、おれが行ってもな」 品田「(『ゴジラvsビオランテ』〈1989〉は)安丸さんに出してる(発注している)最後のゴジラ…
【ビオランテと特撮現場 (2)】 品田「特撮のコンテが出なくて、ひどいときは当日の朝出る。(後半で)ゴジラをぶっさすというのは前日出て、太い鉄筋を尖らせて周りに蔦を巻きつけました。現場は秘密主義で、スチールも少ない。戦略もありましたけど、コンテ…
【田中友幸プロデューサーの想い出 (2)】 品田「あの5年で友幸さんはすごくお年を召した感じ。84ゴジラ(『ゴジラ』〈1984〉)では矍鑠とされてたけど、『ゴジラvsビオランテ』(1989)では杖をついていました」
ゴジラの日本襲撃から5年後。万能のゴジラ細胞をめぐって各国が争奪戦を繰りひろげる中で、ひとりの科学者が亡くなった娘の細胞とゴジラ細胞とを秘かに融合させていた。
【富山省吾プロデューサー (2)】 富山「ハリウッドの生み出した怪獣が天才ギーガー(H・R・ギーガー)の『エイリアン』(1979)。そのギーガーを映画界に招いたのがホドロフスキー(アレハンドロ・ホドロフスキー)の「DUNE」(未映像化)だったと聞いてびっ…
【金子修介監督(2)】 金子「低予算であっても魂を込め、アイドルの美脚を撮るためにも対社会的視点が必要かな(一同笑)。怪獣映画は、怪獣が嘘で他を厳しく選定しないとお客さんは納得しない。そのへんは、大森さんよりぼくのほうが厳しく設定を構築して…
『ゴジラ』(1954)から61年。昨2014年にはアメリカのレジェンダリー・ピクチャーズ制作の『GODZILLA ゴジラ』が大ヒット。日本でも久々のシリーズ最新作『シン・ゴジラ』が2016年に公開されることも発表された。
上田耕一氏はゴジラシリーズの常連で、大森一樹監督の『ゴジラvsビオランテ』(1989)以降は『ゴジラ FINAL WARS』(2004)まで12作品すべてに出演。
今年3月にフィルムセンターにて行われた大森一樹監督のレトロスペクティブでは『継承盃』(1992)の上映後に、大森作品に多数出演した上田耕一氏のトークショーが行われた。
今回のレトロスペクティブでは大森一樹監督の自主映画時代の作品も2本(『ヒロシマから遠く離れて』〈1972〉、『暗くなるまで待てない!』〈1975〉)上映された。
今年3月、東京国立近代美術館フィルムセンターにて大森一樹監督映画のレトロスペクティブが行われた。 大森監督は高校・大学時代に自主映画を撮り、1978年に『オレンジロード急行(エクスプレス)』にて商業映画の監督としてデビュー。この時代までは、映画…
【俳優陣の想い出 (2)】 ラストでは唐突にグアムのヨットのシーンが入り、宍戸錠が登場する。
【吉川3部作のスタッフ (2)】
映画『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』(2010)、『るろうに剣心』(2012)やテレビ『八重の桜』(2013)などで、渋い演技を見せる歌手・吉川晃司。ことに『仮面ライダー』においては、若い仮面ライダー(桐山漣、菅田…