私の中の見えない炎

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大森一樹 インタビュー “いい表現とは観客の視点で作ること”(2009)

 映画『ヒポクラテスたち』(1980)、『すかんぴんウォーク』(1984)、『「さよなら」の女たち』(1987)、『ゴジラvsビオランテ』(1989)など多彩な作品を連打した故・大森一樹監督。大森氏は大阪芸術大学教授で映像学科長も務めていた。その時期の思いを吐露した、2009年のインタビューを以下に引用したい。

 

 最近の学生たちの傾向として、「自分が表現したいことを好きなようにやれるのが映画だ」と思っているようなんだけど、見てもらって初めて着地するっていうかなあ、そのことが抜けてしまっているような気がします。学生の作品を見ていると「だれが見るんや」っていうのがありますよ。

 自分の言いたいことを人が「それはそうやなあ」と思ってもらって初めて映画なんで、1人でしゃべりまくって「おまえら勝手に聞いとけ」みたいなことやっても、それは映画じゃないんですね。

 時間も、人が貴重な時間をとってくれているわけだから、その時間は人の時間なんです。だから上映時間を3時間、4時間にするのを「勝手や」と思う人があるかもしれないけど、それは甚だしい間違いで、2時間で話すことを1時間で話すようにしないと。作った方も主役かもしれないけど、見る人も主役なんだということですね。

 そのためにも、上手な語り口にするとかね。へたな話って、最初の10分でいやになりますよ。どうしたら見る人をぐいぐい引っ張っていけるかっていうことを考えないとね。

 そうした制約があるから映画は面白くなるんです。見る人に気をつかうのも制約だし、お金のことも、時間のこともね。制約の中でどんだけ知恵を使うか、そこですよ。だから、いろんな映画を見なさい。他人の作品を見なさい。見て勉強してほしいですね。

 《大森さんが学科長を務める映像学科では、作品作りを体験しながら映像製作に必要な知識と技術と精神を身につけてもらおうというカリキュラムを組んでいる。1、2年で撮影、録音、照明、編集など映像製作の工程を勉強し、3、4年ではそれぞれの分野の専門性を追究している》

 

 それから考えてほしいのが、よく、自分の作品を得意げに「これオリジナルです」っていうケースがあるけど、映画は古今東西、何万、何十万本とあるんやから、「君が考えたことくらい、すでにだれかが考えている」ということですね。

 で、過去にあったとしたらそれであきらめるんやなくて、それを乗り越えて初めてオリジナルになるんですね。自分が考えたことは世界には絶対にあります。ぼくらプロでもあるんです。それを取り寄せて見たりして、それを超えないとね。でも、超えるということは少しは有利なんですよ。相手の攻め方を見てこっちが攻められるわけですから。まねはいけないけど、絶対に見た方がいい。

 撮ることが楽しいというだけでは、いい映画は作れません。だって、これまで作られてきた映画は、みんなが見たから映画として残ってきたわけでしょ。だれも見ていない映画って残っていませんよ。

 

 《大森さんの授業では、過去の名作や大森さん自身の映画を上映して作品を分析したり、学生たちが製作した映画を見て講評することなどを行っている。平成20年度は「映画を通した人格形成」「映画を通して人生を豊かにする」なども意識して教えたという》

 

 それと、映画というのは小説や絵と違って、映画監督1人だけではできません。最近は、1人でやりたいという学生がけっこういるんです。自分の好きなことをしたいし、人が入ると邪魔されるとかね。でも、人の意見を吸い上げないと映画は太りません。映画はものによっては億単位の膨大なお金がかかります。それは大勢の人を巻き込むからなんです。

 「いい映画撮りたかったらみんなとやれ」だけではなくて「映画撮りたいと思ったらみんなでやらないとお金が集まらない」ということなんです。映画の基本はコミュニケーション。これを欠かしてはいけませんよ。(構成・山口淳也) 

 

 以上、MSN産経ニュースより引用。