私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(5)

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 演出家と脚本家の関係みたいなことについて、脚本家側からどう思うかということですが。で、どういう違いがあったか…。

 脚本家が書いたことは、俳優を通した場合は絶対に違うわけです。必ず違うわけです。僕が持っているイメージとはね。ですから、違うのは当り前なんですね。そういうふうに他者を通して違ってくることに対して、腹をたてるような人だったら、僕は脚本家になる資格はないと思いますね。小説家になればいい。小説家は全部コントロールできますよね。でも、脚本家というのは他者と一緒に仕事をして、他者の個性を通すことによって、自分だけではあんまり捉えられない世界を捉えることができるということを楽しむ人でないと、駄目だという気がするんですね。ですから、僕は原則としては違うことには腹をたてません。あまりに違ったりね、それから、せっかく一生懸命書いたところを明らかに違ってしまうということには、やっぱり相当ムラムラするときがありますね。

 『早春スケッチブック』というドラマの最終回で、これは見てない方に申しあげるのは非常に難しいけれども、小市民批判をしてる人と批判される側と、いろんな人達が集まるところがあるんですね。それは小市民側から手を差しのべていくというかな。それによって、つまり、非小市民の人間と拮抗しうるような魅力を出すっていうシーンなんですけれども。そのとき、家族で非小市民、山崎努さんがやった役の家へ家族でみんなで泊まり込もうと言って行くところがあるんです。僕のイメージの中ではね、家族が何日でもいいから泊ろうというときに、相手の家に行くときというのは、イタリア映画のイメージでイタリア映画だと荷物一杯持って、お母さんがこんなに太っててね、子供がチョロチョロしてね。それをこんな太ったお父さんがいてみんなで荷物を担いでいるというような…。ビスコンティの『若者のすべて』というアラン・ドロンの家族が、そういう描写があったんだけど。そういう家族がみんなで荷物を持って、他者の所へ関わりに行くというのはいいなと思ったのね。たら、荷物が少ないのね、何気なく来たみたいな感じなのね。そうすると、「何日も」って言ったのになあと思うのね。それで、来てくれたのを「ありがとう」って山崎努側と河原崎長一郎の一家とが、夜ご飯を食べるんですね。そのとき、山崎努は死にそうなんですね。死ぬってことがわかってて、それでみんなでご飯食べることになる。その場合、僕の考えでは、これは勝手な考えだと後で反省してるんで、演出家に対して非難はできないんだけれども…このドラマの“最後の晩餐”であると思ったわけ。最後の晩餐というのはシンボリックでなければならないというのかな。非常に象徴的な味がなければ駄目だと思ったのね。それで、みんなで歌を歌ってたんです、ひとりずつ。歌を歌うとこなんか劇音楽がずーっと流れていてね。ドラマにつけた音楽ありますね、流れていて、歌っている音が聞こえないのね。それ以外にどうしようがあるというふうに思ったんだな。でも、それは他者というのはおそろしいもので、どうしようもあるわけね。それで、岩下志麻さんが「菜の花ばたけーに」って歌うのね。それはもうがっかりしちゃってね。横浜でぐれてたことのあるお母さんなんですね、岩下志麻さんの役というのは。そういう人がね、歌歌うときにね、昔の男のいる所で歌うときにね、「菜の花ばたけ」なんて許せないという気がしちゃうのね。昔のちょっとふけたような歌だったら、まだいいような気がするけど…。ともかく声が聞こえたことに非常なショックを受けたんです。そして、山崎努河原崎長一郎が「矢切の渡し」かなんか歌うわけですよ。それも声が聞こえるわけですね。それで、何歌ってるかわかんないけどふたりで一生懸命肩組んで歌っててね、音楽がずーっとたんたんと流れてると、ものすごく盛り上ると思ったんだけど、みんな声が聞こえちゃうのね。それでもうウワーって、最終回の最後の最後にきて…。もう、数日眠れなかったですね。放映にならなきゃいい、なんか地震でも起ってね…。でも、考えてみれば、僕の責任もあるわけで、そういうふうに勝手に思い込んでいるのは僕の間違いでしてね。やっぱり、それはそこまでト書きを書かなければいけなかったですね。つづく 

 

 以上「フェリス・フェスティバル '83」の冊子より引用。