私の中の見えない炎

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山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(1)

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 脚本家の山田太一先生が代表作のテレビ『早春スケッチブック』と『ふぞろいの林檎たち』を相次いで送り出した1983年に、フェリス女学院大学にて講演を行った(1983 年11月3日)。その記録を入手したので、以下に引用したい。用字・用語は可能な限り統一し、明らかな誤字は訂正した。

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  • 発売日: 2002/02/22
  • メディア: DVD

 大学の学園祭で話をするのは初めてなんですが、『ふぞろいの林檎たち』というのを書いたんで今年はとみに申し込みが沢山あって、とりわけ三、四流大学からあったんですが。大学祭というのはお祭りみたいにワーとやっているんだから、話なんて聞く人はいないと思って、そういうとこ行って5、6人しか来ないのにしゃべったりしてるとみじめだと思って、一度もしたことがないんです。娘の友達がここにいて、話してってたのまれたんで、じゃあって来たんですけど、女の子一杯かと思ったら男の子が一杯で。話がちょっととっちらかっちゃうかもわかりませんけど。3時まで2時間ということですけど、それはひとりでしゃべっている時間にしては、長すぎると思うんですね。新幹線で名古屋まで行くのに立っていたことがありますけれども、きっとすいているだろうと思って高を括って行ったら、ちょうど名古屋まで2時間ぐらいですね、それは立っても非常に苦痛だし、食堂へ行ってねばってても、もう出てってくれという雰囲気になっちゃうし、非常に苦痛だったんだけれども、その2時間をひとりでしゃべっているのは不自然なことだと思うので、1時間くらい話をして、何かきいて下さい。それを緒として話をすすめたいというふうに思ってます。

 最近中学校を取材したんです。テレビドラマで学校ものというのを僕は書いたことがないのですが、それはなぜかというと、ものすごく難しい問題が沢山あって、とても自分には手におえないだろうと思って、書いたことがなかったんですけど。一度、1時間くらいのものでやってみないかという話があって、中学校の朝から晩までずっと取材していたいと言って、朝6時頃に起きてね、中学校へ行きましてね、先生が出て来る頃から朝の職員会議から授業も3つくらい受けて、悪い生徒が体育館で怒られているのをずっと見てたんです。その中で非常に感じたことは、先生の話にもあったんだけれども、ワルの中で一番手におえないのは女の子だというんですね。男の子はまだ、先行きひとりで食っていかなければならない。家族を食べさせていかなければならないということがあるんですねえ。女の子のワルというのは本当に手におえないっていうんですね。それはある意味では、女の子というのは生きる目標を自分で切りひらいていくということが非常にしにくい社会であるいうのかな。どうしても二次的成果というふうに社会的には扱われてしまうということで、いくら努力して自分を磨いても、全然磨かない女の子の方が金持ちの亭主と結婚したりして幸せになっちゃったりして、男よりもずっと自分を鍛錬するというのかな、自己形成するとか、個を発展させるということが、そういう努力が実に成果に結びつかない、将来に結びつかないというようなことから、ちょっと投げやりになるということが割合あるんではないかと思いますね。人生の意義とか働く意義とかいうものが非常に捉えにくいのじゃないかと思います。

  考えてみると、意義を捉えるというのかな、意義を求める、そういうふうに物事に意義を一生懸命求めるというのは非常に現代の特殊な形であってね、必ずしも人間が生きているのに意義を必要とするか。例えば、トランプをする人がトランプをする、その意義がどんなのかということは全然考えなくてもトランプすれば楽しいということがありますね。競馬をやる人が競馬をやることの意義は何だろうかとか、というふうには考えないですよね。だけど生きるということになると、非常に意義を求めて、意義のない事柄というのは非常に駄目なことになってしまう。嫌だったりする。例えば、家庭の主婦がね、家の中で閉じこもっている。それで人の世話ばかりして何の意味もない。外へ出て働いてお金を稼げば何か意義があるというのかな、自分をもっと発展させているというふうに…。意義があればいいわけで、実態が幸福であるかどうかというよりも、意義があるかどうかということを非常に問題にする時代だという気がするんですね。ですから、事実として幸福であったとして、それが意義というもので保障されていないと幸福感がない。そういうふうな時代。事実よりも意義を大切にするというような部分があるような気がするんですね。つづく

 

 以上「フェリス・フェスティバル '83」の冊子より引用。 

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