藤子不二雄
この間、荷物の整理をしてたら先生の直筆の年賀状があったんです。鉛筆で全部書いてらっしゃるの。それも良い和紙で。これを額にしようと思って、鏡台の前に置いてあるんです。ステキですよ。ほんと、宝物です。
いまだ継続するテレビ『ドラえもん』(1979〜)は、2005年に声優陣が一新された。そのメンバーが現在まで継続しているが、声変わりする以前の大山のぶ代主演時代もなつかしく感じる。大山が勇退する2年前の2003年3月に受けたインタビューを、以下に引用した…
【テレビ『エスパー魔美』の想い出 (2)】
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦』(2002)や『はじまりのみち』(2013)などで知られる原恵一監督の特集上映が、10月に東京国際映画祭にて行われた。原氏のトークショーも何度も行われたが、筆者はなかなか予定が合わず、映画『エスパー魔…
【第1週/第2話】
妻の入院費を稼ぐために結婚詐欺を繰りかえす青年・愛誠を描いた、藤子不二雄A『愛ぬすびと』(復刊ドットコム)。藤子Aの長いキャリアの中でも上位に位置するであろう傑作で、筋の面白さに加えて凝ったコマ割りやペンタッチも魅惑的で、ファンの間でも特に…
(承前)映画『未来の想い出』(1992)から10年を経た2002年、『キテレツ大百科』の実写ドラマ『キテレツ』と『エスパー魔美』がNHKで相次いで放送された(このあたりになると筆者もリアルタイムで見ており、よく覚えている)。
藤子・F・不二雄のマンガ『中年スーパーマン左江内氏』(小学館)が『スーパーサラリーマン左江内氏』(2017)と題して実写で連続テレビドラマ化される。
【吹き替えの想い出 (2)】 声優って何でしょうね。いまではなりたいって人もいて、最近伺いましたけど、コミュニケーション学科に声優科ができるそうですね。それほど市民権を得たと。
1996年9月23日。 秋分の日で学校はなく、中学生の筆者は塾の模試をこなして、疲れきって帰宅。その夜には巨匠・大林宣彦監督のテレビ『三毛猫ホームズの推理』があり、録画をセットしようとテレビをつけた。
ピリミー族の子ども・黒べえ(声:肝付兼太)がジャンボジェットにしがみついて、アフリカから日本へやって来た。魔法や呪術を使える黒べえは、偶然出会った少年・しし男(声:杉山佳寿子)の家に住み、騒動を巻き起こす。
【『まんが道』の人物たち】 『まんが道』には個性的なキャラが多数いるが、高校時代の敵役が武藤。眼鏡をかけてキザな感じで実にむかつく。
【『まんが道』とは (2)】 稲垣「ぼくが読み始めたのは小学校高学年。(主人公・満賀道雄が)まだ高岡に暮らしているあたり、そのへんが印象深くて。進路に迷ったり、自分と重なって感情移入。
巨匠・藤子不二雄Aが、人生行路を自伝的に描いた大河マンガ『まんが道』(小学館)。主人公(藤子A ≒ 満賀道雄)が友人(『ドラえもん』などの藤子・F・不二雄 ≒ 才野茂)とコンビを組んでマンガを創作し、新聞社勤めなどを経て富山から上京し、トキワ荘に入…
テレビ『ドラえもん』(1979〜2005)にて、ドラえもんの声を長年演じ、最近は認知症を患っていることを公表している大山のぶ代氏。大山氏は7月に仕事復帰したそうで、病と戦いながらも現役で仕事を続行されているのは喜ばしい。
【藤子不二雄の原作アニメ (2)】 藤子原作の『怪物くん』(1981〜1983)では野沢氏が怪物ランドの王子・怪物くん役、肝付氏がドラキュラ役。
杉並アニメーションミュージアムにて、声優の野沢雅子・肝付兼太両氏と鈴木伸一館長のトークショーが行われた。
【藤子スタジオの想い出 (2)】 えびはら「ぼくがいたのは、『ジャングル黒べえ』が終わって、『ドラえもん』も終わるかもっていう、藤本(藤本弘)先生の火が消えかけて淋しい時期。安孫子(安孫子素雄)先生は劇画のほうへ乗り換えて、手間のかかる絵だから…
故藤子・F・不二雄(藤本弘)、藤子不二雄A(安孫子素雄)の藤子スタジオに在籍し、アシスタントとして藤子・F先生に師事した漫画家・えびはら武司。
テレビ『ドラえもん』(1979〜)やその劇場版にてジャイアン役を26年演じた、たてかべ和也氏。たてかべ氏が逝去して1週間以上が経つけれども、喪失感は消えない。以下はたてかべ氏の発言の中で、引用者の手元にいくつかあるものである。
テレビ『ドラえもん』(1979〜)の声優陣は2005年に一新されたのだが、その交代直前にジャイアン役のたてかべ和也氏とスネ夫役の肝付兼太氏のトークショー(プラス映画上映)が行われるイベント “ジャイアンとスネ夫のスペシャルナイト” があった。
テレビ『ドラえもん』(1979〜2005)の主演声優を長年務めた大山のぶ代氏が、認知症を発症していることが公表された。かつて『ドラえもん』を演じていたことを覚えているのかも不分明で会話すら難しいそうで、ドラえもんマニアである筆者はじわじわとショッ…
【藤子不二雄A先生について】
11月、阿佐ヶ谷にて漫画家のえびはら武司先生を中心にしたトークイベントが開催された。えびはら、のむらしんぼ両先生が故藤子・F・不二雄を語るというイベントが今年4月にあり、今回はその第2弾という位置づけである。 参加者は他に漫画家の三浦みつる、浜…
安孫子 あのドラえもんの喋り方になるまで、研究もされたんですか。
安孫子 大山さんは、最初はいつ彼と会ったんですか。
以下に引用するのは『ドラえもん』(小学館)などで知られる藤子・F・不二雄(藤本弘)先生が1996年に逝去された際に月刊誌「婦人公論」にて行われた鼎談で藤子不二雄A、大山のぶ代、石ノ森章太郎の三氏が参加しておられる(字数の関係上全文ではない)。
1996年9月23日に漫画家の藤子・F・不二雄(藤本弘)先生が逝去した直後の、藤子不二雄A先生のインタビューを以下に引用したい(藤子A先生の発言に絞って引用)。 藤子A先生の自伝的な『まんが道』(小学館)を読むと、10代で富山から上京したころに藤子・F…
(承前)僕らが連載を始めるときは、きちんと設計図を描くのではなく、いつもジャズの即興演奏のようなものでした。『ドラえもん』の場合も、一か月前に雑誌に出した連載開始の予告は、机の引き出しが開いていて、「来月、おもしろいものが飛び出すよ」とい…
9月23日は、藤子・F・不二雄(藤本弘)先生のご命日である。亡くなられてから18年の歳月が流れた。以下に引用するのは、藤子・F先生の逝去直後の相棒・藤子不二雄A先生のインタビューである(藤子A先生の発言に絞って引用)。 A先生の『まんが道』(中公文…