私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

ほんとうに家族はいいものかしら・『今朝の秋』(1)

 前妻(杉村春子)に男と去って行かれ、蓼科にてひとりで暮らす80代の主人公(笠智衆)。彼のもとへ息子(杉浦直樹)の妻(倍賞美津子)が訪れ、息子ががんで余命わずかだと告げる。息子とその妻は不仲で家庭は冷え切っていた。

    山田太一脚本『今朝の秋』(1987)は中年男性の死を前に崩壊状態の家族が結集する姿を描き、プラハ国際テレビ祭大賞・第14回放送文化基金賞本賞・ギャラクシー賞奨励賞を受賞。演出の深町幸男は本作により毎日芸術賞を受賞した。
 山田は『ながらえば』(1982)、『冬構え』(1985)につづいて笠主演の作品を構想した。

 「また一緒に」という笠さんの言葉を、文字通りに受けとって、機会をさぐっていた。
 一九八七年、NHKの演出家の深町幸男さんが、停年退職なさることになり、最後の作品を書かないか、と声をかけてくれたのである。書きます、笠さんとやれるなら、とこたえてしまった。
 ところが深町さんは一九八七年の九月一日で退職なさるのである。つまり最後の作品は真夏に撮影しなければならない。
 笠さんは毎年、真夏は仕事をなさらない。プロデューサーの松尾さんが伺うと、やはりそうおっしゃっている。夏は蓼科の別荘でお過ごしになるという。八十をすぎて夏休みをおとりになることになんの不思議があるだろう。
 では、蓼科を舞台にした物語は、どうだろうか? 別荘から一、二分のところを主要なロケ地に選んで物語をつくったら、どうだろうか?
 そんな強引なことを誰が思いついたかというと、私なのである。深町さんと松尾さんがお願いに行ってくれた。私はそんなひどいことを、とても笠さんにはいい出せない。しかし、深町さんという有能な演出家と笠さんという組合せは、どうしても諦められなかった。
 蓼科を舞台といっても、セットは渋谷のNHKのスタジオである。結局笠さんには東京へもおいでいただくことになり、本当に御迷惑をかけた。しかし、笠さんはまたしても素晴らしかった」(『今朝の秋』〈新潮文庫〉)

 

  笠智衆の体調は芳しくなかったと演出の深町幸男は回想する。

 

 「二年前、「冬構え」の時は、あれだけ長いセリフを完全に覚えていた笠さんの口から、短いセリフも出て来なくなった。笠さんの焦りが感じられた。私達も努力した。助監督がセリフを言う、その後、笠さんが自然体で、そのセリフを言う。そして、編集の時、助監督の声をカットしてつないで行くという方法を考え出したのだ。笠さんの名誉のために言うが、全部が全部、そうした方法をとった訳ではない」(『今朝の秋』) 

 

 息子を亡くした笠智衆杉村春子の、終盤の別れのシーンは特に印象深い。深町によると杉村の「スケジュールの都合」により「地方ロケの第一日目」という撮影スケジュールの早い段階で撮られたという。

 

 「笠智衆さんの眼は、静かに妻を、そして、彼女を乗せたタクシーを見送っていた。三、四カットに分けて、笠さんの顔を重ねて撮るカメラマンが私の腕を黙って引っぱった。「たまらない!!」と一言つぶやくカメラマンに代って、カメラのファインダーを覗く私は、しばらくレンズを通して、身じろぎもしないで立っている笠さんの顔を見つめた。笠さんの眼に、孤独、そのものが浮んで見えた」(『今朝の秋』) 

 笠智衆がひとり見送るシーンについては森卓也も「小津作品の笠智衆は、他人がいてもいなくても、基本的に同じ表情だった。山田太一ドラマの笠智衆は、ひとがいるときの配慮の微笑と、一人のときの表情が違うのである」と絶讃する(森卓也『映画、この話したっけ』〈ワイズ出版〉)。
 息子役の杉浦直樹も死期の迫った中年男性を熱演。後年の山田はトークイベントで「俳優さんがとてもいいですし、杉浦さんの死ぬような目」と評価していた。杉浦の目がよかったゆえかこの2年後の山田脚本『表通りへぬける地図』(1989)でも作中で佐藤友美が杉浦に「そんな目をしないでちょうだい」という台詞を投げかけている。
 山田は「倍賞美津子さん、樹木希林さん、みんな考えてやってくださっている。杉村春子さんとぼくは初めて仕事して、とてもよかったですね」と回想するが他にも加藤嘉名古屋章といった演技派によって固められた豪華キャストの中で杉浦と倍賞の娘役が貴倉良子である。聞いたことのない名でこの面子では浮いているように感じられるけれども、この貴倉は往年のスター・高倉健の養女だったという人物で近年は小田貴月の名でメディアに登場している。小田は『高倉健、その愛』(文藝春秋)では1996年に高倉と初めて知り合ったと回想するが、1987年に『今朝の秋』に出演した際は貴倉(たかくらと読める)良子名義で、このキャスティングにはおそらく表沙汰になっていない事情があると考えるのは自然だろう。(つづく