私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

2021-05-03から1日間の記事一覧

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(6)

物語をとおして現実の自分を見つめる 自分史を書くことが、このごろはやっております。自分のことを書くのはとてもよいことです。しかし、自分が死んだあとに、子どもが読んだり、だれかが読んだりすることを考えると、どうしても自分のことを飾ってしまいま…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(5)

ドラマというのは有機体のようなものだと、私は思っています。無意識の部分や理屈にあわない部分が排除されたドラマはつまらない。すべてが論理的で、全体が明晰に見渡せるドラマは、とてもうさんくさいのではないかと…。 『荘子』という本におもしろい話が…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(4)

テレビ番組なども、あたりさわりのないものがよいとされています。何年か前に、「このごろバカが多くて疲れますね」と桃井かおりさんがつぶやくコマーシャルがはやりましたが、すぐ放送禁止になってしまいました。バカというのは、病気の方や障害者の方を言…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(3)

変わらない「物語」と、変わりつづける「現実」 いかに絵空ごとのドラマであっても、物語と現実とは互いに連動し、関わりあっていなければ、みんなを楽しませることはできません。

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(2)

質よりも量に価値を求めるテレビ業界 人間の権利、人権は平等ですが、人間の存在は平等ではありません。存在までもが平等なら、男性はみんなキムタクとおなじ顔をしていなきゃ不平等ですし、女性は沢口靖子さんみたいな顔をしていなきゃならない(笑)。けれ…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(1)

1997年9月25日に、脚本家の山田太一先生の講演がNHK京都文化センターで行われた。講演は小冊子「物語のできるまで」(オムロン)にまとめられており(刊行時に加筆されている)入手することができたので以下に引用したい。明らかな誤字は訂正し、用字・用語…