私の中の見えない炎

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山田太一 インタビュー(2006)・『異人たちとの夏』(1)

 山田太一原作のイギリス映画『異人たち』(2023)が公開された。原作となったファンタジー小説異人たちとの夏』(新潮文庫)により山田先生は1988年度の山本周五郎賞を受賞。そのときの経緯のほか、ファンタジーなどに関して語られたインタビューが、2006年に早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修のサイトに載った。今回の映画と直接関係があるわけではないが、公開を記念して以下に引用したい(用字用語は可能な限り統一した)。

 

――山本周五郎賞を取られたときのお話を聞かせてください。

 

 それ以前にもテレビで賞をもらっていたので、小説で賞を取ろうという気持ちはなく、初めのうちは、テレビと連動したような小説を書いていました。しかしあるとき、編集者が「テレビと全く関係のない小説を書きませんか」といってくれた。じゃあ、これは絶対に映像化できないからということで『飛ぶ夢をしばらく見ない』を書きました。その次に、山本周五郎賞を取った『異人たちとの夏』を書き、その後も『遠くの声を捜して』など、いくつも小説を書きました。映像を考えていないものを書く、ということに専念していたわけね。結果的には『異人たちとの夏』は映像化されちゃったわけだけども、どこか無理があったんじゃないかなと思います。

 山本周五郎賞は、僕が第1回目の受賞者なんです。つまり、書いているときには存在していなかった賞なわけです。なので、候補になりましたといわれても、山本周五郎と僕とはどういう接点があるのだろうかと思いました。もちろん、山本周五郎は非常に洗練された作風であるし、作家としても確立された方ですから、光栄にも思いました。でも、そこから先は選者の方がどういう判断をしてくださるかということを待つしかない。どうすることも出来ないわけだから。

 受賞が決まったときは、田向正健さんの向田邦子賞受賞パーティーで、日比谷の記者クラブへお祝いに行っていたんです。そこに新潮社の方も来ていたんだけど「まだ、選考中です」なんていってる。だから僕もなるべく期待していないような顔して、別の話をしていましたね。そしたら、そこに新潮社から電話がかかってきて、担当者が暗い声で「あの……」なんていうから、あぁ、僕じゃなかったんだなと思ったんです。そしたら「山田さんに決まりました」って。編集者っていうのは何人もの作家を担当しているので、あまり嬉しそうにはできなかったのだと聞きましたけど、受賞者に対してあんな暗い声はないだろうと、後で冗談をいいました。

――テレビの賞についても聞かせてください。

 

 賞を取ろうというような気持ちで書いてはいないんです。30歳のときに松竹大船撮影所を辞め、ライターになろうと決意した頃に書いた『パンとあこがれ』でテレビ大賞優秀番組賞をもらいました。NHKの朝の連続ドラマと同じ時間にTBSが連続ドラマをやっていた時期があったのですが、毎日NHKと同じ時間にやるのだから、敵いっこないわけ。だから、皆がだんだんに認知していってくれればいいというスタンスで、視聴率をそれほど気にしていない枠だったんです。それで、新宿中村屋の創業者、相馬夫妻のことを書きました。インド独立運動の志士、ラス・ビハリ・ボースをかくまったり、関東大震災のときには迫害された朝鮮人をかばったり、様々なことをした人で、不倫もあったり、娘さんがボースと結婚したりと、とにかく題材はハードだった。書くたびに、こんなことまで書いちゃっていいのかなと思いました。でも「観てる人がどの程度いるのかもわからないし、いいんじゃないですか」なんていわれて、かなり思い切って書いたんです。結果的には、それで賞をもらったのだけど。

 その頃の僕は、まだ賞ってものが何なのかもよくわかっていなかったんです。でも、その後で2人の若者が『パンとあこがれ』の脚本を読ませてくれと家までやってきた。出版もされてないものだったし、僕もここにある1冊しか持っていないから、誰かに渡しちゃったらそれっきりだからといったんです。そしたら、一部分ずつ持ってかえって、書き写すという。あの頃はコピーがなかったからね。半年分の脚本なんて膨大な量なのに、その2人は終わりまで借りていきました。それまでは、僕のドラマを観たよとか、書いたものを写そうなんていってくれる人はいなかったから、全く関係のない彼らが、わざわざ家まで訪ねてきてくれたことはとても嬉しかったなぁ。

 それから、『パンとあこがれ』で一緒にやったディレクターと、また一緒に仕事することになって、「何を書いてもいい、好きなことをやっていい」といわれ、『それぞれの秋』を書きました。それを演出をしてくれた井下靖央さんが、日本放送作家協会賞演出者賞を受賞したんだけど、自分と気の合う人がもらったということが、僕はとても嬉しかったね。初めてやりたいようにやっていいといわれた仕事だったし、今思うと、とてもありがたいことだったんだなと。

――賞をもらうことに、どのような意味があるでしょうか。

 

 山本周五郎賞をもらったことで、新聞小説を書かないかという話をいただいて、朝日新聞(引用者註:『丘の上の向日葵』)と読売新聞(引用者註:『君を見上げて』)に書きました。そういうことは、ある程度は賞というものをもらっているというオーソライズがあったからかなという気はするね。しかし、小説を書くなんてことは全く考えてもいなかったときに、東京新聞の方から新聞小説を書きませんかといわれたことがあったんです(引用者註:『岸辺のアルバム』)。それは、賞とか何とかオーソライズとは関係ないところからいわれたことで、非常に意外だったし驚きました。賞をもらってから声をかけてくれたところは、ある程度安定株だろうと思ったんだろうけど(笑)。そういう意味で、賞をもらうことのありがた味はあると思います。小説の世界へ出ていくときに、どんな賞から出ていくのかということは、やはり意味のあることだと思います。つづく

 

 以上、早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修のサイトより引用。