1972年、山田太一脚本の朝の連続テレビ小説『藍より青く』が大ヒット(当時は朝ドラなどという呼称はなかったかもしれない)。翌1973年には松竹で映画化された。
映画の公開時はテレビ版の完結直前で、スケジュールのせいか出演者の半分くらいにはテレビとは異なる面々が配されている。最終回前に映画も…というほどブームが盛り上がっていたわけだが、公開後の批評をいま読むとやや驚かされる。まず月刊誌「部落」の北川鉄夫の批評を引用したい。
「保守的な体質のNHKの番組の体質を端的に表しているのが、毎朝八時一五分からやっている連続小説ドラマだといえます。この番組では、主人公はけなげな努力奮闘型で、多く草深い地方人で、地方弁のおかしさが、蠟をかむような、このドラマの皮相で単調な調子をごまかしているのです。いちばん新しい『藍より青く』も同巧異曲(原文ママ)でした。これを松竹が森崎東監督で映画化するというので私は興味深いものがあったのです。森崎監督は京大出身で学生のころまだ京都にいた私のところへよく遊びに来ました。そして彼が今日数少ない有能な若手監督として山田洋次監督に次ぐ位置におり、彼の現実の認識力がどうNHK型をさばくかと思ったわけです。予想通りというか、森崎監督は、この努力奮闘型内容を、戦争に抵抗する天草の漁村の群像として描くことに成功したのです。中心は若い網元の息子の漁夫周一と、小学校長の娘真紀とのひたむきな愛を貫く行動ですが、その愛が半年後には出征して死ぬと予告されることによって逆に強く貫かれる愛となっています。お国のためを建前としながら、みすみす若後家になる娘の結婚にはどうしても承諾を与えられない小学校長――しかしそれは娘を深く愛する親の心からの反対で戦争は、親の愛をこのようにむごく圧迫します。若い漁夫をごっそり兵隊にとられてどうして暮らせる、天皇もクソもあるかとさけぶ網元の妻。帝国軍人の名でカッコいい海軍服をきて元の友達である漁夫たちをみさげる江田島の入学者にナメるなと迫る若い漁夫たち。なかなかに骨太く、どっしりとした重味が映画をみたあとにのこる森崎東映画の『藍より青く』でした。
これは天草の美しい自然の中の戦時の話ですが、今開発の名で天草を破かいしているとき住民たちはどうしてるでしょう(原文ママ)」(「部落」1973年3月号)
北川の批評はテレビを酷評し、他方で映画を称揚するという論旨である。「キネマ旬報」に載った井沢淳のそれはさらに攻撃的だった。
「娘が校長の子供であることは、青年にとって、ひとつの大きなカセである。青年が、立派であり、心やさしいだけに、校長に対する畏敬の念はつよく、その娘を、恋することは、青年にとって、一種の怖れでもある。しかし、時代は太平洋戦争のさなかであり、彼にとって、いつ死地に赴くかは、自分できめることは出来ない状況がある。
――以上、これらの状況は、山田太一の原作であるテレビ小説が、巧妙に仕組んだ筋である。その点では、山田太一原作は、野心的なのだが、テレビになると、どうしても冗漫になる。テレビ製作者たちが、目下模索中だからそうなるのか、あるいはテレビそのものに絶望しているせいなのか分らぬが、NHKでさえそうなのだから、民放の製作者たちが、テレビ・ドラマを投げ出してしまうのは当り前のことなのか。そこには、活動写真時代の映画表現しかなく、芸術表現の意欲より、報道以前のポンチ絵しかない気がする。
ここで、テレビ・ドラマと映画の関係を、どうしても考えて見たくなる(原文ママ)のは、仕方がないことなのだが、さてそこで、森崎東の映画を考えるとこのテレビ小説の人物設定が生きて来て、それを一本の映画に組み立てると、立派に見られる作品になるということはどうしたことか。よくいわれるように、人間の精神集中は、一時間半から二時間らしいが、そういうコンパクトされた主題が、映画を支えていること。それが、映画のエンターテイメントの主要な部分であることを、この作品は呈示してしないか。映画とは別な娯楽が誕生しつつあるという発想を、このテレビ小説から引き出すことが、どうしても無理な気がするのは、テレビ製作者たちの懈怠ともいえないか。
なにもいまさら、懈怠などという変ないい方をしなくてもいいが、映画と同列である「映像」に頼るべきテレビが、やはり、ほかの文学とか講談とか、その他もろもろの芸能のように、映画に栄養を与える素材でしかないということは、考えて見れば、妙なことである。
これが、山田太一の責任なら、ことは簡単だが、テレビ小説という着想そのもののイージー・ゴーイングが、この冗漫の根本原因であり、その証拠に、映画はちゃんとまとまっている――というところに、映画とテレビの問題はありそうだ。
テレビは、所詮、ナマの報道を不キッチョに送信するだけのもので、芸術活動に参画できないし、参画しようという才能を、その機構のなかで、人材として持ち合わせていないような気がする。石井ふく子一人に頼っているテレビ・ドラマの世界の気の遠くなるような貧困さとでもいうべきだろう。
かくて、映画『藍より青く』は、ただいたずらに、映画の機能の優秀さと、テレビの低調さを大写しにするにとどまった」(「キネマ旬報」1973年4月上旬号)
井沢は朝日新聞の映画評論家で、田山力哉は「厳正で権威のあった朝日の映画評」(『辛口シネマ時評 これだけは言う』〈講談社〉)などと言うが、少なくともこの評は「ただいたずらに」テレビカルチャーを貶める反動的・差別的な内容にしか思えないのだった。