私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(5)

 ドラマというのは有機体のようなものだと、私は思っています。無意識の部分や理屈にあわない部分が排除されたドラマはつまらない。すべてが論理的で、全体が明晰に見渡せるドラマは、とてもうさんくさいのではないかと…。

 『荘子』という本におもしろい話が載っています。人間の身体には七つの穴があいていて、その穴によっていろいろなものを見たり、吸ったり、味わったり、いろいろな思いをしながら幸福を得ているというのですね。ところが、渾沌という名前の帝王には、その穴がひとつもなかった。それでは気の毒だと、日ごろ渾沌にお世話になっている帝王たちが、恩返しのつもりで渾沌の身体に穴をあけてあげることにしたという、とんでもない話なんです。そうして一日にひとつずつ穴をあけていって、七つめをあけたとたんに渾沌は死んでしまったのです。あるはずの穴がないのは、マイナスと言ってもいいでしょう。しかし、そのマイナスを正したとたんに、渾沌は死んでしまった。これとおなじで、個の欠点を直すことで、ドラマ全体が死んでしまうこともあるのです。 

荘子〈1〉 (中公クラシックス)

荘子〈1〉 (中公クラシックス)

  • 作者:荘子
  • 発売日: 2001/10/01
  • メディア: 新書

 現実は人それぞれに違う

 杉本秀太郎さんという、京都在住のフランス文学者がおられます。杉本さんのエッセイを最近の雑誌で読みました。杉本さんがパリにいらしたときに、小説家や舞踊の演出家など、パリの文化の先端に関わっている三人の方と会って、インタビューをなさったそうです。すると、三人に共通することがひとつあったというのです。

 三人とも、最初は相手の目を見て明快に話していたのに、自分の作品に話がふれたとたんにうつむいて、苦しそうになって、まるで罪でも犯しているような顔になってしまった。そうした態度に、杉本さんは共感を覚えたというのです。

 この話には私も共感しました。そんな偉い人と私とではくらべものになりませんが、いまの時代に、これまでに流布している物語でない、新しい物語を本気で描こうとしたとき、「自分の作品はすばらしい」とはとても言えない。うまくゆかないんじゃないか、もどかしいんじゃないかという不安をいだくにきまっています。そうした不安をまったくいだかないで、堂々と「自分の作品はすばらしい」と言える人は、そういうふりをしているのか、インチキなのか、そのどちらかです(笑)。

 現実をとらえよう、そう思って一所懸命に時代と向き合っていると、どうしても時代の先端の部分に関わろうとしてしまいがちです。しかし、ほんとうに時代の先端におられる方は、テレビをあまりご覧にならない(笑)。むしろ、そうではない人たち――時代の先端にいない人たちがたくさん観ておられるということを、見失いがちであることも事実です。

 一五年くらい前に、北関東の農村の女性の方から小説を送られたことがあります。ゲラといって、本になる前の原稿だったのですが、「これがよい作品だと思われるなら、推薦文を書いてもらえないか」と依頼されたのです。こういうことはときどきあって、どちらかと言うとお断りすることが多いのですが、これは読みだしたらおもしろかったので、推薦文を書いたんです。しかも、「あとがき」になるくらいの数ページ分の文章を書いたんです。

 そうしたら今年(一九九七年)の夏に、「あの小説を書いた嫁の家の小姑だ」という方から手紙が届きました。「あの小説が出版されたことで、この一五年間、わが家はほんとうに地獄だった。しかもそれは、あなたが推薦したということでまかりとおっている」と書いてあるのです。まかりとおっているわりには、ぜんぜん見かけないのですが(笑)。

 その小説というのは、主人公である筆者が町から農村に嫁いできて、舅や姑にいかにいじめられたかという話なんです。手紙をくださった方は六〇歳をこえていらして、小説の筆者は兄嫁ですから、もう七〇歳ちかいはずですが、「遅ればせだけれども、いまとても腹がたってきたので、名誉を回復したい」と書いてあるのです。

 小説に書かれているのは戦後の話なのですが、はじめて読んだときには驚きました。というのも、その農家では、ご飯を食べ終わっても食器を洗わないのです。食器にお湯を注いで、お箸で混ぜて飲んじゃう(笑)。明治のころはたしかに、そういう習慣はありました。細菌というものが発見されるまでは、見た目にきれいなら清潔だということで、それ以上洗わなかったのです。しかし、戦後になってもおなじことをしているのには驚きました。

 町から嫁いできたお嫁さんは、食器を洗いたくてたまらない。でも、舅や姑から、「自分で食べたものを汚がることはないだろう」と言われて、洗いたくても洗えない。そんな世界で暮らしていれば、たしかに恨み節も書きたくなるなと思って、推薦文を書いたんです。

 ところが、手紙によると小説が出版されたことで、よくもあんなことを書かせたものだと、村じゅうが大変な騒ぎになって、親戚じゅうから総スカンをくらったというのです。なぜ、十五年もたってから名誉を回復したくなったのかというと、最近になって筆者がテレビに出演して、小説のことを改めてお話しになったらしくて、それでついにキレたというか、怒ったらしいのです(笑)。

 小姑の目から見れば、自分のお父さんやお母さんの悪口を書かれて、しゃくにさわるのは無理もありません。しかし、その反駁文は、百何十ページもあるんです(笑)。「農村の嫁というのは、そんな不満を言わないものです」「家の恥は外に言わないものです」ということが書いてある。それはわからなくはないけれど、もしも私がお嫁さんとして農村に嫁いだら、不満ばかり言っている嫁になると思います(笑)。

 農村の嫁だから不満は言わないなんて時代は、とうにすぎてしまっていると、私は思っていたんです。むしろ、農村にはお嫁さんのきてがなくて、どんなにでかい面をしていようと、お嫁にきてくれるならそれでいいと、もみ手をして待っているのが農村の現実だと思っていましたから、そんな高飛車な農家がまだあることに驚きました。しかも、それに共感している村の人たちもいる。

 マスコミなどで取り上げられる農村の姿は、「農村=嫁不足」という図式になっていて、私もそれが現実だと思っていました。ところが、そうではなかった。なんだか虚をつかれたような気がしました。たしかに、不満を言わない嫁と言う嫁とをくらべたら、不満を言わない嫁のほうが美しいですよ。なにを言われても黙って耐えて働いてる姿を、たとえばカメラでじっと写したら、それはそれで美しい。お母さんをなじったり、パンなどを投げつけたりしているお嫁さんは、見た目にはあまり美しくはない。美しくはないけれど、私たちはやはり現実を描かなければならないのではないか。

 向田邦子さんのドラマは、ある意味では、現実とはちがう物語の世界の、ちゃんとした秩序のなかで暮らしている家族の美しさを描いています。そうした秩序のなかで、たとえば加藤治子さん演じるお母さんが、お父さんの小林亜星さんに、「私が二次的に扱われるのは不愉快だ」などと言って怒りだしたら、あの世界は壊れてしまいます。しかし、現実には、そう言ってお母さんが怒りだしても、少しもおかしくはない。向田邦子さんのドラマのような美しさは描けない、描きにくい時代なのです。

(中略)(つづく

 

 以上、冊子「物語のできるまで」より引用。