私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

浦沢義雄 発言(インタビュー)録(7)

 ペットントン』(1983)や『どきんちょ!ネムリン』(1984)などの東映不思議コメディーシリーズやアニメ『忍たま乱太郎』(1993)などで知られる浦沢義雄先生。2013年2月に「京都の某ホテルにて」行われたという浦沢先生のインタビューを以下に引用したい。大阪芸術大学文芸学科の発行する「別冊 詩の発見」第12号に掲載された(明らかな誤字は訂正し、用字・用語は可能な限り統一した)。

 

喰始さんが全部教えてくれた

――前にお会いしたとき、お酒の席で浦沢さんはフレーズが一番やりたいことだとおっしゃっていましたが。

 

浦沢「いい加減に答えてるから、意味はあんまりないんだけどさ(笑)」

 

――小説などを拝見しても、文章がきれいというか、不純物のような余計なことを書いていないような印象を受けます。

 

浦沢「あそう。小説、もともと書けないタイプだからさ。シナリオが大体そういうものなんだよ。不純物書かないように。だからそれは、シナリオの癖じゃない?」

 

――歌詞なんかもそういう感じがいたしますが。

 

浦沢「だから歌詞になると余計さ、言葉選んでっから」

 

――お気に入りの歌詞とかはありますか?

 

浦沢「ない(笑)。歌詞を書くのが好きだって言う割にはそんなに、詞なんて、全然好きじゃない」

 

――なるほど。読書も嫌いということで。

 

浦沢「いやもう、本読むの一番嫌い」

 

――足穂(引用者註:稲垣足穂は『一千一秒物語』だけ。

 

浦沢「そうでしょ。それだけなんだ。ほかは嫌いだよ。『チョコレット』とかああいうのは。あんまり、全然好きじゃない。『一千一秒』だけはいい」

 

――なるほど。

浦沢「いや、ギャグ書くとき、ああいう感じなんだ。書き方がさ。『カリキュラマシーン』のとき、ギャグ書いたとき、なんとかとなんとかが、こうなんとかした、っていう感じ」

 

――ただ発想だけで。

 

浦沢「でしょ。足穂をだから、喰さん(放送作家喰始氏)が教えてくれたんだ。で、喰さんっておれのギャグの先生なんだ」

 

――さくまあきらさんがホームページで、ブラッドベリ(引用者註:レイ・ブラッドベリを浦沢さんを通じて読むようになった、と書かれていたのを見たんですけれども。

 

浦沢「おお! ブラッドベリ。そう、それもだからぜんぶ喰さんが教えてくれた」

 

――小説『たまご和尚』の最後のところって、『火星年代記』のオマージュなんですよね。

 

浦沢「そうそう、あそこ盗作だよ(笑)。ほとんど『火星年代記』を意識して。最後だよね? …懐かしいな、『火星年代記』。また読みたいな」

鈴木清順大和屋竺まぼろしの舞台

――鈴木清順さん(映画監督)の作品はいつ頃から見てらっしゃるんですか?

 

浦沢「もう清順さんはおれ子供のときからね。一番最初に意識したのはね、野川由美子が出てるので、「悪い奴の星の下」だと思うんだけど(野川由美子が出演したのは『肉体の門』、『春婦傳』、『河内カルメン』。『春婦傳』が『悪太郎伝 悪い星の下でも』の同年公開)、その野川由美子が妙~にいやらしくてさ。中学校ぐらいだったかなぁ…。わかんないけど、映画見て初めてこう女の人のいやらしさみたいなのをさ、いやらしさっていうのはなんか、興奮しちゃうさ、それが、初めて見たのが清順さんの映画でだった」

――艶やかさが。

 

浦沢「それ清順さんだっていうのは知らなかった。『けんかえれじい』も見ていて、普通に楽しかったような記憶はあんだけど、そのときはそんなに映画好きじゃないからさ。野川由美子だけ。妙~に、生々しいって感じがあった」

 

――清順さんって色っぽいものが多いですよね。

 

浦沢「だからそう思っていて、で、二十歳ぐらいのとき、それまで映画自分で好きだと思ってないから、普通にただ見る感じだったから、それで、喰さん!とギャグやって、ほいで見たのが、清順さん。あ、すごいなって。『関東無宿』。それ見たとき、あぁ…すごいなって思った。それがだから、清順さん」

――大和屋竺さん(脚本家・映画監督)の家で、「ふぐを食う会」というのを催されていたそうですね。

 

浦沢「東京ムービーの飯岡さん(脚本家、文芸ディレクターの飯岡順一氏)がね、誘って。十年ぐらいやってたんだよ。それはすごく楽しい会だったよ。清順さんも来て」

 

――大和屋さんが口癖で「世界認識」ということをよく言っていたそうですが。

 

浦沢「それはね、そう書いてたけど全然印象にない。後でギョウに聞いてみな(脚本家の大和屋暁氏。大和屋竺氏は父、浦沢氏は師匠にあたる)」

 

――大和屋竺さんのことで何か印象に残っていることというのはありますか?

 

浦沢「そりゃもう。…なんかホンっト、遠くイスラムを見つめて生きてきたような感じ(笑)。もう現時点ではどうでもいいやみたいなさ(笑)。いやわかんないけど、ギョウに言わせると、もっと切実な問題があるらしいんだけど。……あとやっぱりおれね、原田芳雄さんといると、大和屋さんのでーっかい写真が家に置いてあんだよ。芳雄さんホントに大和屋さんのこと好きだったんだってねぇ…。なんでそんなに好きだったのかほんとにわかんない(笑)。いつも仕事しないし(笑)。おれ大和屋さんのだらしない部分たくさん見てるからさ(笑)。なんで芳雄さんこんなに尊敬するのかわかんない(笑)。……話すとやっぱりそういう、すごい関係があったんじゃない? おれはあんまりそういう話したことないからさ」

 

――あと、気になっていたんですが、一九九〇年頃に鈴木清順さんの演出で、『嫁取り』っていう音楽劇の戯曲を書かれたそうですけど、覚えていらっしゃいますか? ファンにはまぼろしの舞台とか言われてるみたいですが。

 

浦沢「舞台、ステージでしょ。いや、どうってことないよあんなの。全然面白くもなんともないよ」

 

――俳優が出番以外は舞台下で控えていたり、開演前に客席に座って退かなかったりという演出だったそうですが、どういうストーリーだったんでしょう。

 

浦沢「ストーリーはおれが書いたんだけど、覚えてない。明治記念館でやったやつでしょ? まぼろしでもなんでもないよ(笑)」

 

――ちょっとした余興みたいな感じだったんでしょうか?

 

浦沢「ん~、わかんないけど、思い出したくとも、どうともないよ。全然清順さんそういうの得意じゃないと思う。何であんなことやったのかよくわかんない」つづく

 

 以上、「別冊 詩の発見」第12号より引用。