私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(7)

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 SFについてどう思うかというご質問ですけれども…。

 僕もある種のSFはすごく好きなんだけれども、全部好きってわけじゃないですからね。ただ、SFというのは現実についてのメタファーというのかな。現実そのままを書くとあんまり広がってかないし、現実の構造とか、ものの考え方とかがわからないけど、SFを通すと、非常に現実がよく見えるというのがありますよね。そういう意味ではSFというのはいい作品沢山あると思いますね。だけど、小説なんかではSF、若い人に随分売れるでしょ。テレビドラマではなぜあんまりSFが通用しないかというと、やっぱり若い人はあんまりテレビ見ないんじゃないですかね。視聴率というのを考えるとね、SFを拒否するような人たちが勢力を持っていてね。つまり、『水戸黄門』が視聴率が上るというような人たちが沢山いるわけでしょ。そういう人たちに向って、これは未来の何千年後かの話だなんてね…。それはそういう人たちはとてもついていけないわけですね。それはいいか悪いかは別にしても、ついていけないということもあって、なかなか企画が通らないですね。

 『終りに見た街』というのは現代の、この時点のある存在が、そのある家族がそのまんま戦争中の時代の中へ投げこまれたら、どういう反応を示すかということで、戦争を描くという感じで書いたんですけれども。タイム・スリップの話ですけれども。それでも、随分非難の投書が来たのは、「そんなことはありえないじゃないか」という…。それは僕はショックでね、タイム・スリップがありえないと言えば、ありえないですけど…。だから、呆れはてたというかね、そういう非難が来るんですよ。そのくらいSF民度が低いというのかな、日本ではまだね。ですから、なかなかテレビドラマで書くのは難しいですね。 

終りに見た街

終りに見た街

 『男たちの旅路』をもっと続ける気はないかというお話でしたけれども…。

 最初、鶴田鶴田浩二さんでやらないかと思ったときには、まだ合理主義、近代主義というものが日本の主流にあってね。それに反して、アナクロニズム的な戦争体験をしょっているような人間の発言というのはね、少数意見という感じがすごくあったんですね。ですから、鶴田さんを通してそういうものを反応させたい。反応を書くというのかな、視聴者にぶつけるというのは非常に意味があるという気がして書いてたんです。だけど、段々書いてるうちにもう10年は経ってないけど、その間に微妙に社会というのは変わってきてね。ああいう発言というのは開き直りを見せてきたというのかな…。鶴田さん自身も右翼っぽいことを言ったりするんでね、段々嫌になってきちゃったのね。最後に自己否定する特攻隊体験者を書いて、終りにしようと思ったんです。それで、スペシャルというのを書いたんだけど、どうもあんまりうまくいかなかったんだけども、それでもう終りにしようということで…。

 ただ、鶴田さんっていう俳優さんを非難してるわけではないですよ。ああいう存在というのをもっと書くのは、嫌になってきたのね。で、鶴田さんに関してはね、ちょっと面白い人なんで、洋品店のご主人かなんか、ちょっといいなあという気がしてるのね。町内会の顔役かなんかでね、お祭りなんていうと浴衣着てね、葦簾張りの真ん中へ入ってね、お酒貰って、「ようよう」と言ってるようなね…。そういう人で家庭や親戚なんかに問題があったりすると、一番頼りになるおじさんとかね、そういう感じのをやりたいなあと思って、考えてはいるんですけど…。そういう魅力で鶴田さん、まだまだ掘り起こすところがあるという気がしますけれども、素晴らしい俳優さんだと思うけど、『男たちの旅路』に関してはもう全くやる気がないです。

 なんかいろいろ手を挙げていただいて有難うございました。全然挙げてくれなくて、しらけてね、しょんぼり帰るときもあるんです。では、時間になりましたので、ご清聴有難うございました。 

 

 以上「フェリス・フェスティバル '83」の冊子より引用。