私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(3)

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 変わらない「物語」と、変わりつづける「現実」

 いかに絵空ごとのドラマであっても、物語と現実とは互いに連動し、関わりあっていなければ、みんなを楽しませることはできません。

 「シンデレラ」の物語がありますね。貧しい少女は魔法使いのおかげでお城の王子さまのダンス・パーティに行くことができた。王子さまはその少女にすっかりほれこんでしまった。ガラスの靴を小道具に、二人は結ばれて、めでたしめでたしというお話です。

 しかし、私たちは現実として、ダイアナさんの話を知っております。シンデレラの物語は、あまりにも現実とかけ離れていて、私たちを満足させてはくれません。物語は、お城の王子さまの人格などはなんら問題にしていません。「王子さまと結婚すれば、かならず幸せになれる」という前提で語られています。しかし、ダイアナさんは王子さまと結婚しても、けっして幸せにはなれませんでした。たとえば、シンデレラは王子さまと結婚したけれど、王子さまが浮気をしたので悔しいから自分も浮気をして、離婚して慰謝料を請求して、というところまで描かれていなければ、納得できない。現実には、そのあとでダイアナさんが亡くなられてしまった。これにはちょっと驚きましたけれど…。

 長寿の話や子育ての話にしてもそうですが、物語と現実とがあまりにもちがいすぎると、不幸な結果になることが多いのです。しかし、いったんできあがった物語はなかなか変わりません。そのいっぽうで、現実はどんどん変わっています。

 コンビニエンス・ストアが登場しはじめたころ、私はある住宅地のアパートの一室を仕事場にしておりました。夜はたいてい自宅に帰るのですが、ある日やむをえず仕事場に泊まることになったんです。夜中にお腹がすいたのですが、仕事場には食べるものがなにもない。まちに出ればなにかあるだろうと外に出たのですが、近くのお店はみな閉まっていました。遠くに明かりが見えたので、なんだろうと思って近づいてみたら、それがコンビニだったんです。

 そのころは、コンビニなんて名前も知りませんでした。二四時間営業の店だということだけは頭にあって、そこでおにぎりなどを買ったんです。「なんてすばらしい店だろう」と思いましてね(笑)。私のように、「夜中にお腹がすいて」という人もいるだろうけれど、なかには孤独でしようがなくて、だれかと関わりたくなって外に出る人もいるんじゃないか。そんなときに、どこも閉まっていたらさみしいだろうな、コンビニがあったらうれしいだろうなと思いまして、コンビニをテーマに、『深夜にようこそ』というドラマを書いたんです。

 会社をクビになった男が、コンビニに勤めるようになるんです。深夜に働いていると、さみしい人がだれかと関わりたくなって、店にやってくる。男が客に声をかけて、二人の交流が生まれるという物語です。

 私はそのころ、この物語にリアリティがあると思っていました。ところが、ある人から、「あんなのはリアリティがない」と言われたのです。理由をたずねたら、「コンビニに行って、店の人から、「きみ、どうしたの」なんて聞かれたら、「うるさい」と言うだろう」と(笑)。「どんなに孤独でも、知らないやつから声なんてかけられたくないよ。退屈なときには、コンビニに行って雑誌を見て、気をまぎらわせればいいのであって、だれかとしゃべったり、交流するなんて、だれも欲していない。あなたの作品はもう古いよ」と言われました。なるほどなと思いましたね。 

友だち;深夜にようこそ (山田太一作品集)

友だち;深夜にようこそ (山田太一作品集)

  • 作者:山田 太一
  • 発売日: 1987/04/01
  • メディア: 単行本

 それからしばらくして、ある人から手紙が届きました。私のもとに届くのですが、私のことはまったく書いていなくて、自分がどうしたかという、独り言のような手紙です。どういうわけだか、私はこういう手紙をいただくことが多いんです。なにかのはけ口になさっているのだと思いますが…(笑)。

 その手紙には、あるクリーニング屋さんに行ったときのことが書いてありました。お店は閉まりがけで、シャッターを降ろす準備をしていた。戸口の中央にレールを立てかけようとした従業員が、レールの先をその人の足にぶつけてしまったそうです。その人は、「うわーっ、痛い」と言ったのだけれど、従業員も周りの人も、なにも聞いていないというような態度で、いつもどおりに洗濯物を手渡して、「ありがとうございました」と言ったそうです。手紙には、「ちょっと呆然とする体験をした。悔しい」と書いてありました。

 手紙にあったクリーニング屋はチェーン店で、あちこちに店舗があるのですが、じつは、うちに御用ききにくるクリーニング屋とおなじチェーン店だったんです。ある日、その店の従業員がやってきて、月末だったので、お勘定を払うことになりました。女房が留守だったので、私が奥から財布を持ってもどると、彼は勝手口にしゃがんで領収書を書いていました。

 立ったままでお金を渡すのもなんだか偉そうだから、おなじ目線になろうと思ってしゃがんだんです。そして、立ち上がろうとしたら、ぎっくり腰になってしまった(笑)。「うわぁ、ぎっくり腰だ」とさけんだのですが、彼はまったく反応しない。なにごともなかったかのようにお釣りを数えて手渡すと、「ありがとうございました」と言って帰ってしまった(笑)。私はその状態から動けなくて、中座りの姿勢でしばらくウンウンうなっていました。そのときに、「なるほどな、現実はどんどん変わっているな」と思いました。

 なめらかに事が運んでいるぶんには、日本はとてもよい社会です。和を壊さないで、あたりさわりなく生きていればいいのですから。でも、とつぜん目の前の人が、「うわぁ、ぎっくり腰だ」なんて騒ぎだしたら、病院に連れていかなきゃならないのだろうか、店の主人になんて説明すればいいのだろうかと、いろいろなことを考えて、結局はなにも見ていなかったことにしちゃうのでしょうね。ある意味では厳しい社会です。つづく

 

 以上、冊子「物語のできるまで」より引用。 

月日の残像(新潮文庫)

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夕暮れの時間に (河出文庫)

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