私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(6)

 物語をとおして現実の自分を見つめる

 自分史を書くことが、このごろはやっております。自分のことを書くのはとてもよいことです。しかし、自分が死んだあとに、子どもが読んだり、だれかが読んだりすることを考えると、どうしても自分のことを飾ってしまいます。飾らないまでも、周りの人の迷惑も考えると、これについては書くのをやめようなどと、制約がでてきます。そうなると、自分がほんとうに求めているものが浮かびあがってこないのです。

 たくさんの人が自分史を書かれていますが、面白くないものが多いですね。きれいごとや自慢話ばかりだったり、反対に他人の悪口ばかりというものもありますが…(笑)。人格が円満な方ほど、いろいろと配慮なさいますから、現実に深く踏み込めないのですね。そういう方は、フィクションの小説を書いてみてはどうでしょうか。たとえば、私はほんとうはこういう人生を送りたかったんだという視点で書いてみる。嘘をついてみるのです。

 ただし、これには向き不向きがあります。現実をよく知っている人でないと、フィクションは書けません。すぐに嘘だとばれてしまうからです。幼い子どもに、「隠れてなにか食べただろう」と問いただすと、「食べてないよ」と言いますね。でも、チョコレートが口の周りについていて、すぐに嘘だとわかってしまう。おとなになると口をぬぐってから、「食べてない」と言いますよね。そういう意味では、詐欺師は現実をよく知っています(笑)。

 多少の事実は踏まえておかないと、想像力も羽ばたきませんし、嘘であることがすぐにばれてしまいます。ですから、ご自分の生まれた年や人生の節目にあたる年にはどんな事件が起こったのか、どんな歌がはやっていたのかくらいは、図書館などでちゃんと調べておかないといけません。多少は事実をおさえておいて、そこで嘘をつくのです。

 嘘をついてみると、自分がほんとうはなにを願っていたのか、人からどういうふうにみてもらいたいと願っているのかがわかります。深い欲望のようなものもみえてきます。ものすごく地道に、着実に生きてきた方は、放蕩無頼に生きたように書いてみるとか、あるいは、自分とはぜんぜん関係のない物語を書いてみるのもよいでしょう。そうすると、隠された自分がだんだんとわかってくるのです。

 「作家やライターは、自分を食べだしたら終わりだ」と言われています。私もできるだけ個人的な経験を書かずに、仕事をしてまいりました。タコみたいに足が八本もあればよいのですが、私なんかは、自分を食べだしたらすぐになくなってしまいますので、自分を食べないで、いかに長く物書きとして生きてゆくかを考えてまいりました。ところがあるとき、とても自分のことを書いてみたくなったんです。参考になるかどうかわかりませんが、そのときのことをお話ししたいと思います。

 昭和二十年代の終わりのころです。私は東京の大学に通っていたのですけれど、夏休みにも実家に帰らず、東京にいたんです。失恋していたんですね(笑)。ものすごく暗い気分で、孤独でしようがなかった。友だちは故郷に帰っていて東京にはいない。

 そんなある日、山手線に乗っていて、原宿の駅で電車が止まったんです。原宿は、いまでこそ多くの人が乗り降りするにぎやかな駅ですが、当時は明治神宮天皇陛下がおみえになるためにだけあるような駅で、人の乗り降りはほとんどありませんでした。

 原宿の駅に電車が着いてドアが開いても、ほとんど乗り降りはありません。ホームに人の姿はなくて、明治神宮の森のセミの鳴き声だけが聞こえていました。電車は満員なのですが、シーンとしている。「都会って、こんなに静かだったのか」と思いました。満員の乗客はみな黙っているのです。

 こんなに多くの人がいて、孤独な人がいないわけはないと思い、私は心のなかで、「どなたか孤独な人、ぼくに応えてくれませんか」とテレパシーを送ったんです。テレパシーなんて言葉は、そのころはありませんでしたけれど(笑)。テレパシーを送ったら、ほんとうにだれかが応えてくれるんじゃないかと思うくらいに、車内はシーンとしていたんです。目をつぶって、「どなたか、ぼくと同じくらいに寂しい人、声をかけてくれませんか、返事をしてくれませんか」と念じながら、相手は若い女性であることを願っていたのです(笑)。

 そうしたら、どこかから声が聞こえてきた、ということになれば素敵なのですけれど、そんなことはなくて、ドアが閉まって、ガタガタッと電車が走りはじめた。そしてふたたび、都会は騒音のなかにあるかのごとくになってしまった。たったそれだけのことなのですが、自分のことを書こうと思ったとき、このときのことが頭に浮かんできたのです。

 この体験をもとに『遠くの声を捜して』という小説を書いたのは、もう一〇年も前のことです。当時の私は、子どもたちも独立して、女房と女房のおふくろと私の三人で暮らしていました。それなりに孤独だったのです。

 小説のなかでの主人公は、自分では孤独だと思っていなくて、毎日バリバリと仕事をこなしていたのですが、あるとき声が聞こえてきたのです。「私とおなじくらいに寂しい人はいませんか」ってね。それに対して、目をつぶって、「あなたはだれだ」と心のなかでたずねると、どこからか答えが返ってくる。

 見えない相手と話をつづけるのですが、相手がどういう不幸を背負っていて、なぜ孤独でいるのかはわからない。でも、その相手と話しながら日々をすごすなかで、彼自身も孤独であることに気づきはじめるのです。しかも、人一倍の孤独感があって、その原因にも気づきはじめるという小説を書いたんです。

 この小説が出版されたとき、臨床心理学者の河合隼雄さんがお読みくださって、「これは精神分裂病の治療の教科書になるくらいに、症状が詳しく書かれている。しかも、症状はどんどん悪くなっていく」と言われたんです。たしかに、精神分裂病には幻聴というのがあります。そのことを思いつかなかったのは、自分でも不思議なのですが、当時はそんなことはまったく考えていませんでした。自分はけっこう中庸をとる人間だと思っていましたし、分裂しているなんて思ってもいなかったので、「分裂症の症状を書いている」と専門家に言われて驚きました。「先生、ぼくは分裂症でしょうか」とたずねると、「あなたは、これを書いたから治ったんです」と言われました(笑)。

 この小説はまったく架空の話です。どこからか声が聞こえてくるなんてことは、病気でないかぎりありえません。しかし、これを書いたことで、新しい自分を発見したといいますか、自分の深い部分にある現実を見つけたような気がします。現実にはありえないような状況を想定して、「これは私のことではない」と思ったほうが、自分のことを書きやすいのです。 

 『異人たちとの夏』という、生まれ故郷の浅草で死んだ両親に会うという小説も書きました。これもまったく架空の話です。死んだ両親に会うなんてことは現実にありえないことですから、これも事実だと思う人はいませんよね。ところがお一人だけ、小説家の佐藤愛子さんとお会いしたときに、「ああいうことはほんとうにあったの?」ときかれてびっくりしました。「死んだ両親ですよ。そんなことはありえないでしょう」と言うと、「いや、ないとは言えない」とおっしゃった(笑)。

 現実にありえない状況を想定して物語を書いてみると、「これが自分なんだ」と自己認識していた自分と現実の自分とが、ずいぶんちがっていることに気づきます。ある意味では、それまで気がつかなかった自分の豊かさもわかる。時間のある方はぜひ、フィクションの自分史を書いてみてはいかがでしょう。

 いまの時代の「長寿に対する物語」は、上っ面だけをなでたようないいかげんな物語が多いですね。そういう意味では未開拓の分野ですから、いくらでも小説に描く余地があります。だれかが書いた作品のおかげで、老人に対する見方や考え方が変わるかもしれません。そういう作品を、みなさんにぜひ書いていただきたい。私も負けずに書こうと思います。 

 

 以上、冊子「物語のできるまで」より引用。  

異人たちとの夏 (新潮文庫)

異人たちとの夏 (新潮文庫)

  • 作者:山田 太一
  • 発売日: 1991/11/28
  • メディア: 文庫