私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(4)

 ピンク産業についてどう思うかということなんだけれども…。

 今は鈍感を競い合うようなところがありますよね。男なんか特に鈍感だと男らしいと思われるところがあってね…。でも、大体セックスっていうのは哀しいもんていうのかな、離れてみると哀しいよね。どうしてあんなふうに抱き合って…なんか、フェリスであまりこんな話していいかわからないけど…。そういう欲望というのは哀しいときがありますよね。女性はそうではないかもわからないけど、男の場合は正直言うと誰とでもいいときがあるわけですね、女ならね。欲望が非常に強いときはね。そうすると、ものすごく自分が嫌になるというのかな。そういう部分とか、なんか心の交流がなかったら、ほんとに欲望をはき出すのが嫌だとかね。それから、自分の欲望の部分に疲れて、「おにいちゃん、どう?」と言われて、ふらふらそういう所へ来て、のぞき部屋なんていう所でのぞいているというのは、我が身に振り返れば寂しいですよね。僕はそういう所へ行かないけれども…。

 この間、『ふぞろいの林檎たち』というので、歌舞伎町へ行ったんです。それは、ま、取材でも取材じゃなくても同じだと言われればそうなんだけれども…。要するに、ドラマでやったマッサージの所なんですね。地下みたいなとこへ降りて行くんですねえ。そうすると、胸を出してスカートだけ穿いているんです。スカートって言うよりエプロンだけの女の人が給仕して、「いらっしゃいませ」って言うんですね。ですから、見えそうで見えないで…胸は出したまんまで。それで、がらがらでしたね。僕はプロデューサーとディレクターと何人かで行ったんです。自分の娘くらいの子でしょ。非常にショック受けて、目のやりばに困るようだったけど、向うは平然として、当たり前だけど、マッサージだとおいくらですとかね。「奥へ行きますか、行きませんか」と言って、「行かない」って言ったら、コーラを飲んで3000円ぐらいとられたかな。そういう所で男だって行けば原文ママ、一人で座ってれば…。中年の男の人が別の所で座ってましたけど、その人だけでしたけどお客さんは。そこへどやどや4、5人で入って来てね、座るとね、その人はやっぱり恥ずかしそうですよね。でも、自分の欲望かなんか飢えがあって、そういう所へかりたてられて来たんでしょうね。その人は中へ入っていったんですが…。僕にも、「取材なんだからどうぞ、TBS持ちでどうぞ」。さすがにそれはちょっと、一人ってききますからなんてね原文ママ、うろたえてね…。そんなこと言っていいのかわからないけど、一番若い人に、「犠牲になって行ってきてくれ。後でレポートを僕に提出してくれ」って言って、それで僕は帰っちゃったんだけど。

 あれで僕が書きたかったことと、あなたが今おっしゃったことと似てるんではないかと思うけれども、あの場合、ドラマでは非常にそういう欲望にかられてね、そういう所へ行って裸の女の人にマッサージをうけて、あの、射精するわけですね。それが実に情けないというかな、心の交流も何にもなくて、ただ事務的に…。手つきをやっちゃあいけないんだけれども、射精してしまうことの寂しさっていうのでね、中井貴一がやっていた役ですけど、泣いちゃうんですね。それは説明も何にもないわけですね。ただ射精したときに泣いちゃうって書いたんですね。で、中井くんに「わかる?」ってきいたら、「わかる」って言うんですね。ですから、きっとね、あなたが感じているようなことは多くの人が感じてると思うのね。やっぱり寂しいよね。本当の気持ちで、心の交流があって、お金なんか払わないでセックスできれば非常にいいですよね。でも、なかなかそういうチャンスに恵まれない人が沢山いるわけだし…。でも、僕はそれは必ずしも悪いことではないと思うのね。だけど、今でも、昔からそうだけど、男というのは何人の女と寝たかというのは自慢の種になるんですね。どうしてもテクニックのうまい人は自慢するとかね。女の人は何人の男と寝たかが自慢の種には、まだならないでしょ? …なんてきいちゃいけないけど。なりますかね、もうそろそろ。男はそういうところがあるもんだから、ひとりの人をじっと守っている男とか、大事にしてるとか、性体験を大事にしてるというのは、なんとなく古くさいような、ダサいような気がしてしまうということがあると思うんですね。

 そんなことでつまり、焦ることはないと思うけど…。でも我慢できないときってあるでしょ? そうじゃない? 若いときは。大変だと思うけれども、僕も大変だったから頑張って下さい。つづく 

 

 以上「フェリス・フェスティバル '83」の冊子より引用。