【ゴジラについて】
品田「ゴジラ自体(の造型)は安丸(安丸信行)さんと小林(小林知巳)さん」
大森「つくったときに来いと言われたけど、おれが行ってもな」
品田「(『ゴジラvsビオランテ』〈1989〉は)安丸さんに出してる(発注している)最後のゴジラです」
大森「顔を小さくしてるあのフォルムは、川北(川北紘一)さんがアイディア出したと」
品田「前の84ゴジラ(『ゴジラ』〈1984〉)は角のないアーストロン(笑)。顔が大きくて」
大森「白目を減らして黒目を増やしてる」
品田「あれのせいで、『ゴジラvsモスラ』(1992)では見えないと。デイシーンはいいけど、暗いシーンでは真っ黒に見えちゃう」
大森「いちばん顔が変わったよね」
品田「『ビオランテ』以降はそんなに顔変わらなくなりましたね。チタノサウルスはツエニーがつくってますけど、ゴジラの完全外注はこれが最初。外様で、みんなよそよそしくてつらかった(笑)。そのうちみんな打ち解けてきて」
大森「ゴジラは血が出なくて、血管がないらしい。黄色いのもビオランテの樹液で。ゴジラはときどき弾着で血が出たりもするけど、『ビオランテ』ではないですよ。だいたい心臓があるかどうかも怪しいものでさ」
品田「ゴジラ細胞っていうのはここからで『ゴジラ2000ミレニアム』(1999)でもやってましたね。万能細胞だっていうのもここから」
大森「出だしのゴジラ細胞取り合うっていうのは、ダメな人はダメでしょ」
品田「ゴジラは低体温だから温めるっていう作戦は『サンダ対ガイラ』(1966)ですね。
人工雨の撮影ではみんな泥だらけ。みんな長靴で。夕飯の時間に終わって、東宝の前のますだやっていう定食屋に行ってますだやは泥だらけ(笑)」
大森「隔離されたところ(第10スタジオ)でやってた。やらされてるほうは大変だよね。川北さんの実験室(笑)」
ゴジラの着ぐるみは2着あった。人形アニメのゴジラも撮られたがカットされた。
品田「芦ノ湖を撮ってるときに2着目をつくって、大阪ビジネスパーク(のシーン)で初お目見え。キャラクタービジネスという視点がなかったんですね。川北さんが違うのやめようと言って、『ゴジラvsキングギドラ』(1991)と『vsモスラ』は同じものです。84ゴジラのサイボットゴジラはシーンで違う」
大森「あれほどは、『ビオランテ』は違わない(笑)。人形アニメも何やってんだと。突然ハリーハウゼン(笑)」
『ビオランテ』ではゴジラは、前作で退場した三原山から出現。先述の通り、スーパーXⅡも。
品田「こういう姉妹編みたいなゴジラ映画は初めて」
大森「『キングギドラ』も一部つながってる。ゴジラが出現する位置、若狭湾にいるとか」
品田「『ゴジラの逆襲』(1955)と『メカゴジラの逆襲』(1975)もそれぞれ(前作と)つながってますけど、リセットされてますね」
大森「最低でもゴジラは海に帰さないと。(『シン・ゴジラ』〈2016〉では)今度どうすんの、東京のど真ん中に置いちゃって(一同笑)」
品田「『三代怪獣地球最大の決戦』(1964)のラストで陸にいたのに、次の『怪獣大戦争』(1965)は湖にいましたね」
大森「これが自衛隊協力の最初かな。織田(織田裕二)の『BEST GUY』(1990)とかも。アメリカで(軍が)『トップガン』(1986)や『愛と青春の旅立ち』(1982)に協力したら入隊志願者が増えたとか。それで自衛隊もあのあたりから企業に協力し出した。この次からクレジットに防衛庁がずらっと出る。
当時はどう協力していいか判らない。芦ノ湖の横に自衛隊の車があるのはあれ1回だけ。現場に行ったら自衛隊の車輌が一般道に出て来てえらいことしたなと。その後(の映画は)富士学校内で撮ってます。協力してくれるとなると脚本を見せて。このときは閣議決定なしで自衛隊が出た。これ以降は閣議決定して出ることに」
品田「一営利企業に協力するのはいかがなものかって、出てないのが84ゴジラまでです。
勇壮な音楽で若狭に集結するのはかっこいいですね」
大森「公開前に富士学校にプリント持って行って自衛隊試写をやったら、もう大拍手で沸きに沸いたらしい」
品田「怪獣と自衛隊には切っても切れないものがあります」
大森「『ビオランテ』ではいちばん活躍してるよね。あそこまでゴジラ追いつめて。
富士学校の購買部には自衛隊ブランドがあって、その中に迷彩のコーヒー缶があって、それ持って帰って、わざわざ(劇中で)飲むんだね」(つづく)