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大森一樹監督 インタビュー “映画と復興”(2011)(1)

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 1995年の阪神大震災で被災した大森一樹監督。当時の体験をつづった著書『震災ファミリー』(平凡社)もあり、被災した映画人として東日本大震災後に改めてインタビューに答えている。日本映画監督教会のサイトに載っていたが、なくなってしまったので以下に引用したい。聞き手は井上泰治監督が務める(用字・用語は可能な範囲で統一し、明らかな誤りは訂正した)。

 

井上「今日は、映画人としての復興というテーマでお話をお聞きしたいのですけど」

大森「根本的に、映画が復興に力があるンかと言うと…」

井上「でも、大森さんは阪神大震災を扱った『走れ!イチロー』(2001)を撮られていますよね」

大森「あれは、6年経ってから、個人的な思いでやったけど、6年後にやったら、あまり見向きもされなかったというのが正直なところやからね(笑)」

井上「直後には作れなかったということもあったんだと思うのですけど」

大森「今回の大震災、これだけ電力不足だの何だのと言われ、映画作ろうとすれば金もかかるのだし、今は映画作らないのが一番いいというのも一つの考え方だと思う」

井上「そうですか…」

大森「被災地で役に立つのは、やっぱり医者とか、建築関係、法律関係ですよ。映画監督なんて行ったって何の役にも立たないからね(笑)」

井上「そんな時、医師免許持ってらっしゃる大森さんが…(笑)」

大森「今更何の役にも立たへん(笑)。阪神の時もそうやったけど、こういう時はNHKですよ。いやあ、被災地は即効性ですよ。映画会社は役に立ちません(笑)」

井上「さすがに、NHKの底力でしたね」 

阪神大震災――

井上「阪神大震災、神戸にいらっしゃる時に被災されたんですよね」

大森「倒壊した高速道路のそばのマンションですから、モロですよ。個人的には住んでいたマンションの再建での取り仕切りに少し役だったかなというのはあるけどね」

井上「マンションの自治会ですか?」

大森「そうそう。普通、マンションの平時の自治会なんていうのは、リタイアした高齢の人とかがやるじゃないですか。ゴミの日を守りましょうとか、野良猫に餌はやらないでくださいとか、平和な時は、自治会はそういう人が説得力あったりする部分はある訳だけど、いざ、有事の際、住めるのか住めないのか、

半壊と全壊の間にあるような判定を受けたマンションに住んでいけるのか、どうかという場合に、住めるのか住めないのか、どうやって直していくんだという具体的なことになった時、そういうリタイアした人じゃ出来ないというか、実際にその人も出来ないと言って、音をあげた訳だけど、ちょうど僕ら40代やったから、その年代の人たちが中心になってやった訳だけど。補修工事やから、なかなか業者がやってくれへん訳よ。再建工事やったら飛んでくるのに補修工事やとどこも手を付けたがらない。東京に行った時に知った松竹の製作主任にそうした業者を知りませんかと聞いたら、『釣りバカ』(引用者註:『釣りバカ日誌』)の時に熊谷組と繋がりがあるといって、熊谷組に聞いてあげると言ってくれて、結局、その熊谷組が来てくれて、補修を引き受けてくれたんやね。それぐらいやね、映画が役に立ったというのは…(大笑)」

井上「そういう時って、自治会自体、なかなかまとまらないんじゃないですか?」

大森「まあ、76世帯だから、いろいろ言う人があって、最後の最後まであれこれ言う人はいたけどね。その辺で、そんなこと言ってたら、いつまでもこのままですよと凄みのある言い方でまとめられたのは、映画業界にいたからじゃないの(笑)。普通のサラリーマンやってる人じゃなかなか言えへんのやろうけど。お金の単位も1億、2億となるから、普通の人はビビるんやけど、映画の製作費に似てるから、自分が集めた金やないけど、割と当たり前な感覚で聞いていられる…そういうところを段々、みんなも分かってきてくれて、映画業界の人って凄みがあるって…(笑)」

井上「しっかりしたはるって(笑)」

大森「業者に対しても、オマケ付けられるやろとか脅して…まあ、映画の現場の仕切りに似てるから」

井上「結局、再建までどのくらいかかったんですか?」

大森「何やかや、2年以上を要したね」 

東日本大震災――

井上「ところで、今回の大震災、前日まで青森にいらっしゃったとか」

大森「青森…八戸。八戸で『津軽百年食堂』の試写会をやって、市長まで花束を持ってきて下さって。次の日からその市長も大騒ぎですよ」

井上「それが3月10日ですね」

大森「青森でキャンペーンやってたから、最初、県庁を表敬訪問して、知事に挨拶して、その知事も次の日から大騒ぎになった訳やけど。八戸でもロケやったから、新幹線で青森から八戸へ行って、八戸の海岸線の岬の高台にある蕪島(かぶしま)神社で大ヒット祈願したんやけど、翌日、そこも津波でザブーっとやられたんやからね。1日違ったら身動き出来へんかったね」つづく

 

 以上、日本映画監督教会のサイトより引用。

津軽百年食堂