私の中の見えない炎

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大森一樹監督 インタビュー “映画と復興”(2011)(3)

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大森「原発の被害で避難している人たちのところへ行ってパンを配るとかいうよりも、原発の避難の仕方はこれでいいのかという声をまとめていく。何か考えたらいいんじゃないかな。そのための情報を集めていくことが大事じゃないンかな」

井上「それは大事ですよね。無暗にやたらに動くことではないですね」

大森「被災地に行かなくても離れた所からでもメッセージを送れることを考えた方がいいんじゃないかなと思うんだよね。関西だからということもあるけど」

井上「報道、マスコミのように拙いところを直ぐに糾弾して行くというような立場とはまた違った映画人なりの取り組みというのがある気がしますね」

大森「関東大震災の後、後藤新平が突出した復興をやっていったという話であるとか、そういうところにヒントがあるんじゃないかと思うんだけど。

 僕は宮澤賢治をやったけど、(引用者註:『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』〈1996〉)震災の後、役に立つかなというものがあった。別に、宮澤賢治は震災に対してがんばった人じゃないけど、干ばつなど虐げられたあの時代の東北に、ああいう人が出てきた。一人一人が宮澤賢治になろうとか、復興へのメッセージというのはそういうことじゃないかと思うんやけど」

井上「大森さんは、著作(引用者註:『震災ファミリー』〈平凡社〉)の中で「平時」という言葉を使っておられるんですけど、平時の時も平時でないでないものを自分の中に持っていないといけないと仰っていたのですが」

大森「平時の政治家というのは、党利党略ばかり考えていた人たちは、震災が起こると役に立たない訳だよね。それをまざまざと見せつけられるじゃない。それは先程の話と同じで、マンションの理事長がゴミの日を守りましょうと平時ならお年寄りが言うのも説得力がある訳よね。しかし、災害時は僕らのようなのが火事場の馬鹿力を出すんだよね。撮影の時のように一日を何んとか…」

井上「どうにか切り抜けていこうという精神がありますよね(笑)」

大森「今日は何んとか一日上手くいったな、次の日はまた難問が降りかかってくる。そういう時がんばった人間が、逆に平和な時のマンションの理事長をやったら、うっとうしいと思うんだけど(笑)」 

震災後の日本映画――

井上「被災者の方たちもテレビドラマは見始めているでしょうが、映画館に足を運ぶという状況はまだまだ遠いでしょうね」

大森「まあ、映画は、即効性はないけど、じわじわとくるものだと思う…。DVDで『チャイナシンドローム』がセルで物凄く売れていると聞いたけど、品切れになっているらしいよ」

井上「原発事故ですね」

大森「単純なことなんやけど、そういうのも映画の力やと思うんやけど。レンタルなんかでも『日本沈没』なんかの災害物がよく出ているって話やけど」

井上「もう見たくないという人と、見たいという人がいるんですね…。阪神以後、地震を描く場面を長く撮ったことがありませんでしたが、数年前にやっと撮りました。現場であの時のことを思い出しながら再現していて、妙にリアルで恐くなりましたよ…」

大森「いやあ、そうだろうね」

井上「この震災の中で、恐ろしいほどいろんなドラマがあるのでしょうね」

大森「ある。絶対、それはあるね。それをこれから何年か掛かって…。一瞬の判断で何十人の子供を死なせてしまった先生の話とかね…死なせてしまった先生の気持ちを、映画が何んとかして…。これから10年、20年掛かっての話やと思うね。そう思うと皮肉な話だけど、災害や戦災があったから映画ってのは文化として…。第二次大戦がなければ、その後こんなにドラマが生まれなかったとも思う。それと、ぬるま湯みたいな映画状況になっちゃったから、日本映画が何かもうちょっとピリッとしたものにならないと、これだけの災害が映画に与えた影響というのは、日本映画が変わっていかないといけないんじゃないかと…」

井上「私も時代劇やってる中で、貧しさや飢えというものを若い助監督さんなんかに少しでも理解させようと粟の飯を食わせてみたりするんですけど。もちろん、それだけのことで分かる訳じゃありませんけど」

大森「そういうことやね。大勢の人が一つの事象で死ぬというのは戦争が終わってしまって、なくなったけど、その分、訳の分からない難病映画とか出て来て、人の死を凄く作りものめいたものにしている。これだけ多くの人が亡くなった訳やから、そんなにおいそれと作りものの死を扱うということは出来ないようにはなってくると思うけどね」

井上「そうでしょうね。今日はお忙しい中どうもありがとうございました。最後に、犠牲になられた方々の御冥福を心より祈りたいと思います」

 

 以上、日本映画監督教会のサイトより引用。