【田中友幸プロデューサーの想い出 (2)】
品田「あの5年で友幸さんはすごくお年を召した感じ。84ゴジラ(『ゴジラ』〈1984〉)では矍鑠とされてたけど、『ゴジラvsビオランテ』(1989)では杖をついていました」
大森「最後でしたね、現場に来られて陣頭指揮とってたのは。『ゴジラvsキングギドラ』(1991)では現場に出てこなかった」
品田「芦ノ湖で、背中丸めて杖ついてる老人がいたので、何だこのじいさんと思ったら田中さん!
『ビオランテ』では友幸さんが細かく決めていて、ツボのところでは「ここは譲れない」と言ってました。ビオランテについては「顔がない」と。ポスターにも顔がないと。『ガンヘッド』(1989)ではロボットを歩かせると言われて、それで最初に歩くシーンが入ってる」
大森「ギリシャの彫刻の写真持ってきて、ビオランテはこれだと。何回も現場に来られてました」
品田「ビオランテができたとき、田中さんが見えたんです。川北(川北紘一)さんが伊福部(伊福部昭)マーチの音量をガンと上げて、ん?と思ったら田中さんが後ろにいた。演出するな、この川北のおっさんは(笑)」
大森「川北さんのリスペクトはすごかったですよ」
品田「川北さんのバランス感覚は田中さん譲りかな。こうすると客に受ける、という」
大森「田中さんは無茶するとか伝説もあって、シャープな人でしたね。ときどき変なことも言うけど」
『大空のサムライ』(1976)や『ガンヘッド』などを手がけていた特技監督の川北紘一は、ゴジラシリーズに初登板。ゴジラ6本を演出し、2014年に逝去。
大森「ドラマ部分が結構ある。川北さんは最初のころで、特撮は24分くらいしかない。4分の1で、だからちゃんとドラマが見られる。川北さんだんだん暴走して、特撮が長くなっていって」
品田「川北さんは並々ならぬ思いでやってましたね。特撮スタッフを本館の会議室に集めて、プランの説明がありました。ゴジラの主観をやりたいとか。結局主観映像はあまりないんですが。カットされたけど芦ノ湖に行く前になぎ倒される木とか」
前作でゴジラを迎撃した首都防衛移動要塞・スーパーXの改造版(スーパーXⅡ)も出てくる。
品田「スーパーXⅡも台本ではもっと強くて浦賀で勝つ。芦ノ湖でもXⅡが来て三つどもえになって、そこでは蔦がからまって敗退。イメージボードにもあります」
大森「結局あんまり強くないね。派手な音楽だけど負ける(笑)。特撮が難しかった。オープンで吊るっていうのが難しい。とにかく時間がかかるっていうんで、川北さんが勝手に切っちゃって」
品田「弱いなら出さなくていいって声もあったけど、川北さんには前作の中野(中野昭慶)さんと違うスーパーXを見せるって矜持があったんですね」
大森「いや、活躍はしてますよ。かっこいいよね。メーサー車とかは台本に書いてないよ。現場に行ったらいつの間にかメーサー車が置いてある」
品田「川北さんは隙あらばメーサー出そうと(笑)」
大森「でもやっぱり出てくるといいよね」
品田「わくわくします(笑)」
大森「雨にしようって言ったのは川北さんでしょ。最後が雨なのは『七人の侍』(1954)だね」
品田「『七人の侍』って大森さん言ってませんでした?」
大森「おれが雨言うたんかな(笑)。いまは新しい時代に入りましたね。CGが入って」
品田「映画で着ぐるみが使いづらくなりましたね」
【ビオランテと特撮現場 (1)】
ビオランテは研究所から脱走し、芦ノ湖に不気味に君臨。この第一形態がゴジラと戦うも撃破される。クライマックスは若狭で、最終第二形態のビオランテとゴジラが激突する。ビオランテの造型は殺人的に厳しいスケジュールで行われたという。
品田「第一形態のデザインが決まったのは、撮影に入る1か月前。最終形態は芦ノ湖の撮影まで決まらなくて」
大森「おれも撮影してから見た。ああこうなんだ。花のほうは見てたけど、最後はこんななったのか」
品田「現場入ったとき、最後の奴の雛形がありました。最終形態をつくって、花もやってます。ぼくがプロポーションで、顔は得意な人間がやりました。ビオランテはクリーチャーに寄ってます。
見積もりの攻防もあったみたいで、ビルドアップでは仕事をいくらでやるって丁々発止があって。(撮影所に)打ち合わせに行ったら向こうから黒澤明が来る、曲がると本多猪四郎がいるってひとりで喜んでた(笑)。でも上ではシビアな話が。
芦ノ湖のとき、あの花(第一形態)見て絶望したと言われたんです。デザイン通りつくったのに。(初登場は)逆光で撮ってますね。後ろの光源は謎ですけど(笑)」
大森「ビオランテも30年経って認知されたけど、当時は何これっていう違和感があったね」
品田「蔦を切れって言われて、怒気すさまじく切ってたら、川北さんがすまなそうになって(笑)」
大森「でも最初に動かないのはいいよね」(つづく)