ゴジラの日本襲撃から5年後。万能のゴジラ細胞をめぐって各国が争奪戦を繰りひろげる中で、ひとりの科学者が亡くなった娘の細胞とゴジラ細胞とを秘かに融合させていた。
『ゴジラvsビオランテ』(1989)は、当時としては最新の科学トピックを織り込んだサスペンスタッチの怪獣映画。多彩な人物や事件が矢継ぎ早に描かれる意欲作で日本の特撮映画を刷新し、いまも高い人気を誇る。脚本・監督は『ヒポクラテスたち』(1980)や『風の歌を聴け』(1981)、『T.R.Y.』(2003)などで知られる大森一樹。
この10月に、横浜市にて『vsビオランテ』のリバイバル上映と大森監督と怪獣造型の品田冬樹氏のトークショーが行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
大森「『シン・ゴジラ』(2016)で初めてゴジラ見た人が『ビオランテ』見たら「何やこれ、ゴジラじゃない」」
品田「84年の(『ゴジラ』〈1984〉)までは昭和のゴジラっぽいですが、『ビオランテ』がターニングポイントになってゴジラ映画としては異色のものに」
大森「川北さん(川北紘一特技監督)が編集したんですが、速いですね」
品田「予兆を飛ばしてストンと出す。現場でもビオランテの蔦がモコモコ動くのを撮ろうかって松本(松本光司)くんが言ってましたけど、川北さんは「いらない!」と」
大森「CGひとつもなくて、大人が人力でビオランテの蔦もみんなで引っ張ってた。いまの人が見てどう思うかな」
品田「昔の映画は一発勝負。いまは何があってもポスプロで直しちゃう。本番の緊張感は違いますね」
大森「結構無理があるよね、『ビオランテ』は。(行方不明になったビオランテは)どこにこれはいたんだろうとか、『シン・ゴジラ』見た人からすればでたらめもいいとこ。改めて見てゴジラはファンタジーだなと」
品田「見ているときは、あれ?と思わないですよ」
大森「スピードで考えさせない」
品田「考えさせなければ勝ち(笑)」
大森「あれ何って思うと次行っちゃう。突っ込みどころ満載ですよ。高浜原発で緊急避難とか言うけど、具体的に何やってるか判らない」
【企画段階】
『ゴジラ』(1984)の公開後に新作ゴジラの原案が公募され、小林晋一郎氏の原案が採用された。また複数の脚本家がシナリオを執筆していた。
大森「5つくらいホンがあってゴジラ細胞の争奪戦の話もあった。『ビオランテ』とは別に」
品田「自分は小林さんのシノプシスは見てないんですが」
大森「田中さん(田中友幸プロデューサー)が『ビオランテ』で行こうと決めたんじゃないかな。
品田「私とか何人かマニアが田中友幸さんに呼ばれて、この台本読んでどう思う?と。田中さんは、人の話は聞くけど、持論は曲げない(笑)」
大森「5冊渡されたのは86年。それからああだこうだ」
品田「話がところどころ違ってました。英理加(沢口靖子)の細胞が入ったバラを博士の研究所から奪取するけど車の中でバラに襲われるとか」
大森「そんな話だった?」
品田「その時点でビオランテは動けない。鉢植えのビオランテで『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1960)みたいな」
大森「あれ見ましたよ、参考に」
【田中友幸プロデューサーの想い出 (1)】
第1作『ゴジラ』(1954)から一貫してゴジラシリーズをプロデュースした田中友幸が、このころは存命だった。
品田「84ゴジラは『日本沈没』(1973)や『ノストラダムスの大予言』(1974)の流れもありましたね」
大森「お手本にしたのは『キングコング対ゴジラ』(1962)。あれがベストムービーだと思うね。社長のコメディにゴジラが入ってきて、あれつくったのが田中さんですよ。このへんは田中さんが ×× よりすごいところですね。
「ほんとの怪獣は人間だ」っていうのは、田中さんが絶対切りたくないと言ってました」
品田「科学の利用の仕方で悪夢にも幸せにもなるということですね」
大森「原発は84ゴジラからで、ゴジラが原子力で動いているという」
品田「あれから原子力がエネルギーに。あれも田中友幸さんの意向がかなり。それまでは肉食」
大森「(台本で)三枝未希(小高恵美)とゴジラのシーンではゴジラが水中から空へ上がるっていうのは、田中さんダメ言うてたね。念力合戦でも宙に上がるのはダメ。ゴジラはそんなにヤワではないと」
品田「それやると超能力がすごすぎますね」
大森「後で見識あるなと思ったな」(つづく)