私の中の見えない炎

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大森一樹監督 トークショー レポート・『オレンジロード急行(エクスプレス)』『ヒポクラテスたち』(2)

 今回のレトロスペクティブでは大森一樹監督の自主映画時代の作品も2本(『ヒロシマから遠く離れて』〈1972〉、『暗くなるまで待てない!』〈1975〉)上映された。

 

大森「最初の自主映画は(特集上映では)やりたくなかったんですが、フィルムセンターのほうからやってくれと言われて。でもつづけて見ていただくと、撮影所の技術が入るとこんなに変わるんだというのが判る。『オレンジロード急行(エクスプレス)』(1978)だけ見ると下手な映画なんですが、その前に自主映画が入ると『オレンジロード』が上手く見える(一同笑)」

 

 1980年に発表した医学生の群像劇『ヒポクラテスたち』は、高い評価を受けた代表作。主演は2003年に死去した古尾谷雅人

 

大森アメリカンニューシネマとかがあったから(この時期の自作は)物語性からは逸脱させてもらった(笑)。

 『ヒポクラテスたち』はキネマ旬報のベストテンで3位だった。あの年は『ツィゴイネルワイゼン』(1980)と『影武者』(1980)が1位と2位。鈴木清順黒澤明と並んで3人目(笑)。自分が1位なんてとんでもないと(笑)。2人と並んで、監督になったんだなと思いましたね。この時期はもうこっちが愉しくて、医者になろうと思っていなかったです」 

 大学で教えていると、いまの映画について思うところもあるという。

 

大森「変化というのは、ないに越したことない。変化の度に煩わしい思いをしたんですけど。

 デジタルの時代が始まって10年くらいです。別の映画の歴史が始まったと最近思っています。3Dなんて映画110年の歴史とは全く違った発想になっていますね。去年の洋画だったら『ゼロ・グラビティ』(2013)は全く新しいほうで、『愛、アムール』(2012)は映画110年のほうから来てますね。これを比べるっていうのはね。どちらがいい悪いじゃなくて、全く別のものであると。このフィルムセンターはフィルム担当で、デジタルはデジタルシネマセンターをつくるとか(一同笑)。

 カメラ1台で撮るのが映画の規則だったのにいまのカメラは安いから何台も用意できる。3台で芝居を撮ってたりすると、モンタージュではなくてテレビのスイッチングみたいになってるね。デジタルになって4時間、5時間の映画も多くなった。すると中身も変わってきます。ぼくは映画110年のほうですから、その流れの中で、やりたいですね」

 

 大森監督は、やはり医師免許を持つ漫画家の故・手塚治虫のファンで、以前に何かで見た大森監督の書棚には『手塚治虫漫画全集』(講談社)がずらりと並んでいた。『ヒポクラテスたち』では手塚が医師役で登場する。

 

大森「『ヒポクラテスたち』で手塚治虫さんに出ていただいた。手塚さんは医者であり、漫画家だった。ぼくも漫画が好きやったし、親にも手塚さんも医者になったんだからあんたも国家試験には受かっときなさいと言われました(一同笑)。だから手塚作品(の映画化)とか、手塚さんの少年時代を描くとか、やってみたいですね」

 

 今回の特集上映は12プログラムであったが、まだ上映したい作品もあるという。

 

大森「何で『恋する女たち』(1986)がないんだとか、『すかんぴんウォーク』(1984)が入ってないとか、漏れた作品があるんで、(特集上映を)もう1回できませんか(一同笑)」 

恋する女たち