私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

大山のぶ代 インタビュー(2003)・『ドラえもん』(1)

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 いまだ継続するテレビ『ドラえもん』(1979〜)は、2005年に声優陣が一新された。そのメンバーが現在まで継続しているが、声変わりする以前の大山のぶ代主演時代もなつかしく感じる。大山が勇退する2年前の2003年3月に受けたインタビューを、以下に引用したい。

 

——HPで募集したおたよりでは、「ドラえもんの声に関する質問」が一番多かったんですが、最初にドラえもんの声優さんの話があったときは、どう思われましたか? 

 

 26年前の12月に、「今度こういうものをやりたいんですが」と言われたのが『ドラえもん』でした。ちょうど藤子先生の単行本が14巻まで出ていたので、それを全部買って読ませていただいて「これは子ども向けのマンガのアニメと言うよりはSFじゃないか! おもしろい!」と思って、「ぜひやってみましょう」と。

 それまで10年間くらい、時代劇とかドラマの方が忙しくて声の出演を一切やめてたんですよ。でも、できあがったアニメーションを見たら、これがすっごくおもしろい! 「おざしきつりぼり」っていうタイトルで、とても楽しんで、喜んでやらせてもらいました。でも、いざやる時には、「『ドラえもん』をどういうふうにやろう」と心配でしたね。

 

——どのように、あの声のイメージを作られたんですか?

 

 最初「SFだなぁ」と思ったとき、「もし現代に生きている私たちが、たまたま江戸時代にタイムマシンに乗って行ったとしたら、神様みたいに思われるんじゃないか」と思ったんです。そのうえドラえもんは2112年9月3日生まれ。今より百何十年先の時代で、すごい知識を身につけてのび太の世界に来てるんだけど、あの頃の設定では、出来が悪くてバーゲンで売られてたって話になってたんです。

 すごい知識は身につけてるけど、ちょっと出来が悪い。ちょっと重ったるい、ヨタヨタのところもある。で、だいたい5、6歳から、まあ7歳ぐらいの男の子かなと。それで、こんな風にしゃべろうかな? と思って、いわゆる俳優の仕事でいえば演技プランを考えてやってみたんです。

 あと、未来から来て、しかも子どものお世話をする育児型ロボットなら、はじめから悪い言葉は絶対インプットされてないと思ったんですよ。「テメー」とか「ヤロー」とか悪い言葉。それで必ず「こんにちは、ボク、ドラえもんです」ってきちんと自己紹介をして、やろうと。だから、最初は台本には「こんにちは、ボク、ドラえもん」とは書いてなかったんですよ。

 

——じゃあ、あれは大山さんのアイディアだったんですね……!?

 

 アイディアというか、私はそうだろうなと思ってやったら、それを演出の方たちも認めてくださったのね。 

 以後、「そうです」とか「ちがいます」とか、「ボクは」とかお行儀よく(笑)。だから、ドラえもんは一度も「オレ」なんて言ったことないんです。ジャイアンがどんなにいじめっ子でボコボコやったりしても、「テメェー」とか「バカヤロォー」とか25年間一切言わないできたんです。でも、いい番組なだけに、言葉は大変難しかったですね。

 

——藤子・F・不二雄先生から、「こんなふうにしゃべってください」と藤子・F・不二雄先生から、「こんなふうにしゃべってください」と注文されたことはあるんですか?

 

 「おざしきつりぼり」ができて完成試写があったとき、初めて藤子・F・不二雄先生にお会いしたんですよ。その時、私はやっぱり心配だったので「先生、ドラえもんの声、あんな具合でどうですか?」って聞いたんですね。すると、「ドラえもんって、ああいう声してたんですね」って先生がおっしゃってくださって。これは、役者冥利に尽きる言葉ですよね。で、「ありがとうございます。じゃあ、あれでいいですね」って。

 マンガという平面の世界で描いていた先生が、どういうドラえもんの声のイメージを持ってらしたかは別として、「ドラえもんていうのはこういう声なんだ」って思ってくださったというのが、すごくうれしいなあと思って。

 ファンレターでも、どこかの大学生が「ドラえもんって、ああいう声だったんですね」って同じことを書いてくれていてね。ドラえもんを読んで、ドラえもんに対する何らかのイメージを持ってた子どもたちが、このドラ声で「こんにちは」って言ったことで、「あ、これだ」って思ってくれたんだとしたら、ホントよかったなァと思いました。そして、その「よかったなァ」の気持ちがそのまま25年続いて、ずーっとやってるんですよ(笑)。

 

——25年の間には、いろんなことがあったと思うのですが、印象に残っていることは?

 

 やっぱり藤子・F・不二雄先生が亡くなられたことは、ものすごいショックでしたよね。そんなこと夢にも思わなかったし、まだお若かったし。先生が病気と闘ってらっしゃることは聞いていたけれど、なんといってもやっぱりショックでした。ただ、先生とは、ずいぶん、いろんな所に行けたし。先生の写真もいっぱいあるし。つづく

 

以上、“ドラえもんチャンネル”より引用。 

ぼく、ドラえもんでした。 (小学館文庫)

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