安孫子 あのドラえもんの喋り方になるまで、研究もされたんですか。
大山 いろいろ考えました。当時、ロボットの役をやるときはたいがい、電子音的に「ボ・ク・ハ」みたいに喋っていたんですが、ドラえもんはとても人間チックで全然ロボットっていう感じを受けないでしょ。だから、私はあえて普通の男の子みたいな話し方にしたんです。それから、たとえば私たちでも外国語を習うときにはきれいな言葉から習いますよね。だから「こんにちは、ぼくドラえもんです」とか、いい日本語をインプットされている。ただしちょっとできが悪いロボットだから、頼りなげなところがあるとかね。毎週楽しんでやっているうちに、ほかの声優の仕事は全部お断りして、とうとう『ドラえもん』だけになってしまいました。
石ノ森 やはりドラえもんには、特別な思い入れがありますか。
大山 これをやったら、もうほかはやれないと思うほど強烈でしたね。
安孫子 見ている側も、ドラえもんは大山さん以外考えられないですものね。
大山 ところで、藤子・F・不二雄作品は『ドラえもん』や『チンプイ』など、児童漫画の名作揃いですよね。
安孫子 僕らが始めた頃、手塚先生が児童漫画を描いておられたので。ただ、それは自分らが描きたいものを描いていたわけです。ところが、最近では読者の平均年齢も上がってきて…。
石ノ森 誌名が『少年××』でも、読者が少年じゃなくなっちゃった。
大山 いまでは大人が読んでいますね。
安孫子 そうなると、漫画家も歳をとるから、自分と同年代の読者を対象にしたほうが描きやすいし、描きたいものもあるわけです。
石ノ森 それで、いまは児童漫画の作家が少なくなったよね。
安孫子 いま子どもの雑誌を見ると、ほとんどがファミコン漫画などで、漫画家のオリジナルはそれこそ『ドラえもん』しかないと言ってもいいくらいでね。そういう意味で、『ドラえもん』の藤本くんがいなくなって、その穴をどう埋めるかというのが一番大きな問題だと思うんですよね。藤本くんは終始一貫して、クリーンで透明感のある子どもたちの世界を描いている。あれはいかにも日常生活漫画のようですが、実は一種のファンタジーなんですね。だからとても安心感がある。いまの子どもの生活は、悲惨な状況にあって本当に可哀相に思います。
(中略)
大山 先日、大分県の小学校の先生方や専門家を交えたいじめ問題のシンポジウムに呼ばれて、そのときに『ドラえもん』に出てくる「母の目」というト書きを思い出したんです。ドラえもんの目が半眼になって、慈愛深くのび太くんを見るという、母の目。お母さんは「勉強、勉強」ってうるさいけれど、のび太くんにはドラえもんが母の目を注いでくれる。だから、あの漫画はいいんだなと思っていたら、学校の先生の一人が、「年中いじめられていても、のび太くんにはドラえもんがいる。でも、いまの世の中は、そのドラえもんをもっていない子ばかりだから」っておっしゃったのね。時代が随分変わってしまって、土管も遊び場もなくなって、子どもが空き地で遊ばなくなっても、ドラえもんは子どもたちが何でも言えて頼れる存在なんだな、と思ったんです。
石ノ森 本当は学校の先生に、ドラえもんになってもらいたいけど、昔はそういう大人がいて、藤本氏はその頃の精神をもった作家だったから、ああいう作品が描けたんでしょうね。
安孫子 しかも彼には『ドラえもん』を描くことによって、子どもたちに救いを与えようといった大義名分は一切ない。あくまで自分の喜びとして描いていることが素晴らしいんですよ。大人として、これで子どもたちを救ってやろうなんて思って描いた漫画なんて、子どもは読みませんから。
大山 煙たがられるだけですよね。
石ノ森 『ドラえもん』は、大山さんの声が若くなったと同じように、永久に古くならない漫画だね。一番のポイントはアイディアでしょう。彼はつねにアイディアを考えることを楽しんでいたはずです。それが作品に生きている限りは、時代に左右されないでしょうね。
安孫子 彼がいなくなって新作はできないかもしれない。子どもたちも、いつかは大きくなって『ドラえもん』を卒業していく。でも、それはまた新しい子どもたちに繰り返し読みつがれていく。オーバーなことを言うと、漫画のバイブルみたいなものですよ。彼は本当に素晴らしいものを残していったなと思いますね。
大山 大変だ。バイブルだったら、私、神の声になっちゃうのかしら(笑)。
安孫子 それは最高じゃないですか(笑)。
以上、「婦人公論」1996年12月号より引用。