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藤子・F・不二雄作品 実写化のあゆみを振り返ろう(1)

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 藤子・F・不二雄のマンガ『中年スーパーマン左江内氏』(小学館)が『スーパーサラリーマン左江内氏』(2017)と題して実写で連続テレビドラマ化される。

 この『左江内氏』が連載されたのは1977〜78年で、マンガの実写化が花盛りとは言え、いまから40年も前の作品がメジャーな枠組みで扱われるのはそうあることではなく、藤子ファンとしては喜ばしい。そこでこの機会に藤子・F作品の実写化の歴史について(筆者が見ることのできた範囲で)簡単に振り返ってみたい。

 藤子マンガが大量にアニメ化されていた1980年代、テレビ『藤子不二雄の夢カメラ』(1986〜1988)が “月曜ドラマランド” の枠でシリーズ化された。原作の「夢カメラ」は冴えない中年係長の女子社員への思慕を描いた短篇であるが、ドラマ版では当時の女性アイドル(中山美穂、荻野目洋子、小泉今日子)を起用したオムニバスドラマになっており、ほぼオリジナル。80年代はまだマンガの実写化が少なく、タイトルだけ借りたようなありさまでも原作破壊の誹りを免れたようである。

 “月曜ドラマランド” は複数の制作会社が持ち回りで担当していて、第1作『藤子不二雄の夢カメラ』(1986)は向田邦子新春シリーズなどで知られる巨匠演出家・久世光彦カノックスが制作を請け負った。久世作品は概ねいつも美術に凝っていて、今回もセットが豪奢(筆者は “月曜ドラマランド” は数えるほどしか見られていないのだけれども『夢カメラ』以外はもっとチープだった)。原作とは何ら関連がないものの独立したドラマとして一応愉しめる。脚本には金子成人松原敏春市川森一と実力派が登板しており(金子と松原は、久世とのコンビ作が多い)何故にチープな枠にこれほどの布陣が組まれたのか不可解ですらある。ちなみに市川や金子などは他の脚色仕事では原作をある程度尊重しているので『夢カメラ』はおそらく当初から原作無視の方針だったと推察される。

 一挿話「じゃんけんぽん」は市川 × 久世の巨匠コンビで、かつて死に別れた姉妹(小泉今日子・二役)が再会して入れ替わるという不思議譚。姉妹の入れ替わりは市川脚本の大河ドラマ花の乱』(1994)などでも反復されている。久世はセット撮影を好む演出家だったが「じゃんけんぽん」は久世が長年撮った向田邦子新春シリーズを思わせる日本家屋のセットでホラー風味のファンタジーが繰りひろげられるという、驚くべき作品だった。ただいかに完成度が高くとも、原作が名ばかりなのは虚しい(余談だが久世は藤子アニメの主題歌「パーマンはそこにいる」や挿入歌「浪曲ドラえもん」の作詞も別名義で手がけている)。

 翌1987年もカノックスの制作で、やはり松木ひろし中島丈博などベテラン脚本家が登板した『夢カメラ』パート2が放映される。1988年には連続ドラマ化され、カノックスでなく東映が制作を担当。田中秀夫、大井利夫など東映の特撮ドラマを撮っていた監督陣が参加した(筆者は未見)。

 マンガ原作の実写映画・ドラマが少しずつ増え始めた90年代、森田芳光監督により『未来の想い出』(1992)が映画化される。藤子・Fの原作は落ちぶれた中年の男性マンガ家が若き日にタイムスリップするという作者の切実な心情を反映した痛々しいものだったけれども、映画は女性マンガ家(清水美沙)と占い師(工藤静香)を主人公にした全く異なる筋立てで『夢カメラ』と同様に原作とは何ら関係ないものだった。

 脚本・監督の森田によると「脚本が先で、藤子さんの漫画が後から」だったそうで(『森田芳光組』〈キネマ旬報社〉)マンガと映画とは連携もなく別個に制作されていたとおぼしい。原作本には森田が藤子・Fを小馬鹿にするような一文を寄せており確執でもあったのかと勘ぐってしまうのだが、いずれにしても藤子・Fの名を冠した大人向け実写映画というのは画期的な試みではあった。

 後年の森田監督は「通行人が止まっている中をヒロインのふたりだけが歩いているような映像が、自分の頭にイメージとしてあったんです。でも当時の技術が追いついていかないんですよ」とテクノロジーの制約を述懐する(『森田芳光組』)。

 完成した映画は毒にも薬にもならない出来で、さしたる評判にもならずに終わった。その4年後に藤子・Fは逝去する。(つづく

 

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