私の中の見えない炎

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藤子・F・不二雄作品 実写化のあゆみを振り返ろう(2)

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(承前)映画『未来の想い出』(1992)から10年を経た2002年、『キテレツ大百科』の実写ドラマ『キテレツ』と『エスパー魔美』がNHKで相次いで放送された(このあたりになると筆者もリアルタイムで見ており、よく覚えている)。

 『キテレツ』はCGこそ原始的で稚拙な点も目立ったけれども、『藤子不二雄の夢カメラ』(1986)や『未来の想い出』のような “名義貸し” でなく原作にある程度は忠実な内容になっている(脚本:戸田山雅司 演出:一色隆司)。藤村志保加藤武といった脇を固めるベテラン俳優もさすがに達者で、筆者としては好印象であった。一方で『エスパー魔美』は原作のクールさや仕掛けが捨象されてダンスシーンが横行するという珍作で、安手の演出に呆気にとられたのを覚えている。『魔美』の実写化については生前の藤子・F・不二雄も構想を語っていたが、彼がこれほど愚にもつかないドラマを目にしていたら…。

 2000年代前半はマンガ・アニメの実写化が急増する時代でこの傾向は現在まで継続しているのだが、『キテレツ』が原作に依拠してつくられたのは “名義貸し” の時代に比べれば進歩したのだと捉えたい。一方でテレビ『漂流教室』(2002)や映画『デビルマン』(2004)のように原作を改悪してファンの不興を買う実写版もこの時期に目立っており、『魔美』もその悪例のひとつと言わざるを得ないだろう(制作者たちもマンガの扱いに不慣れで、言わば過渡期だったと考えることもできる)。それにしても、ひとりのマンガ家の作品が同じ制作母体で同時期に2本実写化されるというのも異例だが、ひとつは原作をそこそこ尊重し、もうひとつは原作木っ端微塵というのも面妖でこの時期の混乱を象徴するかのようである。

 NHKの2本から6年後、『藤子不二雄の夢カメラ』(1986)以来のオムニバス・シリーズ『藤子・F・不二雄のパラレルスペース』(2008)がWOWOWで登場。藤子・Fの短篇6本を実写にするという試みには興味を惹かれたけれども、見てみるとこの手の企画にありがちな、よかったりつまらなかったりする何とも言い難いものになっていた。

 1話目の「値踏みカメラ」はシリーズ全体のポスターにも採用されていたが、マンガの絵柄を実写で徹底して再現した怪作である。『デビルマン』の大バッシングを経験したゆえか、2000年代中盤から後半の映画・テレビ界では実写映像をどこまでマンガ原作に近づけるかが流行のようになっており、映画『NANA』(2005)はセットの窓枠の比率を原作と同一にするという配慮っぷり。また『20世紀少年』(2008)は原作マンガと俳優の風貌を極力似せる “原作原理主義” を標榜している。「値踏みカメラ」はその流れに乗ったのか、あるいは揶揄する意図が込められたのかは定かでないが、原作マンガと同じ体勢をさせられる俳優たちの不自然な挙動にこちらは嗤うほかなかった。

 ただし2話「あいつのタイムマシン」や5話「征地球論」などは、原作の主人公が男性だったのを女性に変更しているのは安易な小細工という気はするけれども、そつのない実写化(「征地球論」は半分がアニメ)だったと記憶する。 

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 さらに月日は流れてマンガの実写化もすっかり定着した2014年、『世にも奇妙な物語』の枠で「未来ドロボウ」が映像化される(脚本:大野敏哉 演出:後藤庸介)。絶望した若い男(神木隆之介)と死期の近い大富豪(吉田鋼太郎)の精神が入れ替わるという物語はまさに実写向き。原作では高校生だった主人公は大学生に変更されてややオーバーな演出が施されているが、スピリットを受け継いだ優れた作品に仕上がった。演じる神木隆之介吉田鋼太郎の好演も光っており、殊に吉田はシェイクスピア劇や井上ひさし作の舞台の印象があったので意外だった。

 タイトルだけ借りた作品に始まって時代の波に洗われながら試みられてきた藤子・F・不二雄作品の実写化は、短篇ながら「未来ドロボウ」にて一定の完成を見たように思われる。原作破壊や技術面での不備、設定の改悪などを重ねて少しずつ成熟していったそのプロセスを顧みると、大げさだが万感の思いが湧いた。

 スタートがあと数時間後に迫った『スーパーサラリーマン左江内氏』(2017)はどのような境地を見せてくれるだろうか。