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原恵一 トークショー レポート・『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(1)

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 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦』(2002)や『はじまりのみち』(2013)などで知られる原恵一監督の特集上映が、10月に東京国際映画祭にて行われた。原氏のトークショーも何度も行われたが、筆者はなかなか予定が合わず、映画『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(1988)のみ見ることができた。原氏はテレビ『エスパー魔美』(1987)にて初めてチーフディレクターを務め、その劇場版にて映画監督デビューを果たしている。

 超能力を使える少女・魔美は、偶然マイナーな人形劇団の人びとに出会い、人形劇に魅せられる。だが劇団をとりまく現実は、決して甘くはなかった。 

 人形劇が幼い女の子の心をとらえるシークエンスや回想シーンの浄瑠璃、クライマックスで乱舞する人形など入魂の演出が光る監督デビュー作で、筆者は29年ぶりにスクリーンで見直して改めて感銘を受けた。映画の前には第54話「たんぽぽのコーヒー」と第96話「俺たちTONBI」も上映された。終了後にトークがあり、聞き手はアニメ研究家・編集者の氷川竜介氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

「こんな遅い時間に、こんな古い作品をこんなにたくさんの人が見に来てくれるとは思っていなくて嬉しいです。雨は上がりましたので、帰りは大丈夫です(笑)」

 

 氷川氏が当時のパンフレットを取り出した。

 

「これ、ぼくも持ってないですね」

氷川マーケットプレイスで結構簡単に手に入ります(笑)」

 

【テレビ『エスパー魔美』の想い出 (1)】

 当時の原氏は、藤子・F・不二雄藤子不二雄Aの作品を多数アニメーション化していたシンエイ動画の社員だった。『エスパー魔美』も藤子原作アニメのひとつ。

 

「まず最初はパイロットフィルム。こういう作品をつくりますとテレビ局や代理店など関係者に見せる短いフィルムをつくったんですね。絵コンテの師匠だと思っている芝山努さんが描いた素晴らしい絵コンテがあって、演出はぼくがやりたいと手を上げたんです。オンエアは、ほぼ決まってたと思うんですよ。そのころは『ドラえもん』(1979〜)の演出をやってました。プロデューサーに参加したいと言ったら、あるときそのプロデューサーから昼ご飯に誘われて、チーフディレクターをと言われたんです。嬉しかったですね。すごいことになったと。当時としては20代のチーフはいなかったと思うので。会社としても『魔美』は挑戦的なタイトルと判っていて、いっそ若い人間にやらせてみようと思ったんでしょうね。ものすごく嬉しくて意気込んでやったけど、えっチーフディレクターってこんなにきついの?(一同笑) 何やってもダメ出しされる。頭にくることもあって髪の毛逆立てたこともありました。オープニングのコンテを何回描いてもダメ出しされて、これでどうだって描いたら「まだ判らんのか」って言われて電話切ったら、向いにすわってるやつが「髪立ってるよ」 。トイレに立ったらほんとに髪がぶわっと(一同笑)。オンエア始まる前に辞めよう、頭きた奴殴って国外逃亡しようと思いました。海外放浪したいって夢があったんですよ。とりあえずがまんしよう、終わったら行くぞって思いました。

 (『魔美』を)2年半やって終わったら、会社辞めて放浪に行こう。止められて次の作品やってくれと言われたけど「辞めます」。何でだって言うから「いや海外旅行したいんです」。相手は「何言ってんだきみは」(一同笑)。そのとき、じゃあ休職にしてやると言われて。ぼく戻ってくる気がなかったんですよ。結局長く行っても劇的なことはなくて、現地の女性と恋に落ちて海外で暮らすとか考えてた(笑)。そんなことはなく、日本に戻ってまたアニメーションの世界に戻るしかなくて。最初はほんとに厭だったですよね、この現実に戻るのが。

 シンエイ動画はエッジの尖った人がいる会社じゃないけど、安定はしてました」

 「たんぽぽのコーヒー」と「俺たちTONBI」は原作のないオリジナル作品。

 

「オンエアの初期のころは原作のエピソードを使ってたんですけど、オンエアできる作品がなくなるってことで、少しずつオリジナルストーリーをつくり始めたんですよね。(全体で)2年半くらいですね。脚本スタッフとプロデューサーとぼくとでつくらなくてはいけなくなって、藤子・F先生の作品がどんなに素晴らしいか痛感しました。思い知らされて。全然及ばない。藤子・F先生はものすごい勉強家で、いろんなことに興味を持ってやってきた人なんですね。その人の頭から出てくるストーリーはぼくら凡人とレベルが違う。オンエアは毎週で、何とかつくらないといけない。不本意な作品ももちろんあったんですが、その中では自分としては藤子先生と並べてもはずかしくない、思い入れのある2本です。

 (「たんぽぽのコーヒー」の)脚本の桶谷(桶谷顕)くんはぼくと同期入社で、脚本家に連絡する文芸という仕事をしていて、そのうち自分で脚本を書くようになって、その中で出してきた1本です。プロットが、共感できて面白い。藤子先生が書いたとしても違和感ないストーリーで、ぼくも乗って絵コンテ描いて演出しました。桶谷くんは47歳で亡くなってしまったんですが、彼の作品の中でも思い入れがある。自負もあって選びました」(つづく) 

 

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