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えびはら武司 × 高峰至 × 坂本享哉 トークショー レポート・『藤子スタジオアシスタント日記』(1)

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 藤子・F・不二雄藤本弘)、藤子不二雄A安孫子素雄)の藤子スタジオに在籍し、アシスタントとして藤子・F先生に師事した漫画家・えびはら武司

  独立後には、『まいっちんぐマチコ先生』を大ヒットさせた。そのえびはら氏が、アシスタント時代に接した藤子不二雄先生のエピソードを自伝的に漫画化した『藤子スタジオアシスタント日記』(竹書房)が刊行。

 刊行を記念して、阿佐ヶ谷にてえびはら氏のトークショーが開催された。参加者はえびはら先生のほか、コミックコーディネーターの高峰至、元竹書房の坂本享哉、竹書房の谷川愛、男性の方(すみません、お名前が…)、ジャンクハンター吉田の各氏である(出演予定だったのむらしんぼ氏、オファーを出していたという藤子不二雄A先生は現れず)。司会の宮田翔子、三池さくら両氏が「私はマチコ」を唄って開幕(以下のレポはメモと怪しい記憶に基づくもので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『藤子スタジオアシスタント日記』のできるまで】

えびはら「2500円の入場料取って、本まで売ろうという(笑)。

 竹書房の坂本さんと出会って意気投合。当時、『マチコ先生』の舞台を池袋でやっていて」

坂本「(舞台に出演していた)アイドルの事務所の社長に紹介していただいて。ぼくの世代は『マチコ先生』直撃で、えびはら先生の原作もアニメもよく見ていて。最初は『マチコ先生』の誕生秘話でやろうとしていたんですが、こうなった。関係各所(の調整)がいろいろ大変で。普通は(他社の本に)キャラを載せるときは、目線が入っていたりするんですが(笑)。これは、えびはら先生だからできたんですね。連載の1回目を載せるときは、ドキドキでした」

えびはら「最初は、許可をとってない。向こうのスケジュールが合わなくて。2回くらい無許可で載せました。(連載は)長くて5、6回のつもりで、やがて小学館から「そろそろ終わらないんですか」って言われて」

坂本「そしたら、藤子プロからどんどん描いてよって(笑)」

えびはら「快く言っていただいて。安孫子先生もマネージャーを通して、いいよって。じゃあ何描いてもいいんだって励みになって」

坂本「意外と関係各所のみなさん、えびはら先生ならOKって。

 当時のえびはら先生は18、19、20で藤本先生や安孫子先生とタメ口ですから。きっと「すごい新人」って言われたんだろうな(笑)」

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 会場では、えびはら先生が中央に写った当時の写真が披露された。

 

えびはら「運動部とかに入ってなかったから、上下関係とか判らなくて、ちょっと怖いって周りに言われた。

 40年くらいのことなので、ちゃんと描いているようで結構適当です(笑)。

 最後に載ってるアシステント年表には苦労しました。初デートのこととか。この方は、辞めて看護師になった方で、看護師さんのときに何度か…。描いてるときは意識してなかったけど、マチコ先生にちょっと似ているかも。マンガって(描き手の)いろんな意識が入る。当時は、宮崎美子さんや大場久美子さんが頭にあったんだけど」

 

 『藤子スタジオアシスタント日記』は、書店では文芸書として流通している。

 

えびはら「今回は、マンガじゃなくて文芸書として出せたのは嬉しいですね」

坂本「コミックスだとなかなか全世代に届かない。こういう形態だと、老若男女に読んでもらえますね。えびはら先生との打ち合わせはすぐ終わって、ほとんどプロレスの話でした」

えびはら「マンガの打ち合わせって、他の話していること多いですね。何時間も内容を語ってもね。

 安孫子先生は、ほんとに寝ない。「いつ寝るんですか」って訊いても「寝てない」って。ぼくもあんまり寝ない人間になって、午前3時にLINEで(編集者と)やりとり。仕事の打ち合わせがLINEってすごいよね。LINEスタンプとか入れたり(笑)」

 

藤子スタジオの想い出 (1)】

 『藤子スタジオアシスタント日記』や前回のトークショーでも語られているが、えびはら先生は高校卒業後に、専門学校に通いながら藤子スタジオに勤務した。

 

えびはら「(高校の在学中に)藤子スタジオに電話したら、藤本先生がめんどくさそうに出て(笑)。藤本先生と面接して、そんなことは後にも先にも。ぼくがいた時期にも1回もなかった。

 2時間も面接して、最初の30分は黙ってた。あこがれの人を前に、何喋っていいか判らない。こっちから喋ると失礼かと思ってたら、向こうも何も言わないし。ぼくはいまでも無口です(一同笑)。

 『21エモン』『モジャ公』が大好きですって言ったら、喜んでくれた。ぼくも面白いマンガを描きたいって言ったら、そんな簡単に描けるものじゃないよって言われて(笑)」

 

 『ドラえもん』のジャイアンの本名・剛田武は、えびはら先生のお名前から取られたという。

 

えびはら「藤本先生が『ドラえもん』を描き始めた当初は、こんなに大きな作品になるとは思ってなかった。だからジャイアンの本名も設定してなかった。マンガは、最後まで本名が出ないキャラも多いよね。

 いじめっ子、いじめられっ子の名前は申しわけないからジャイ子のび太みたいにありえない名前にした。この歳になって、藤本先生の思いやりを感じますね」(つづく) 

 

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