テレビ『ドラえもん』(1979〜)の声優陣は2005年に一新されたのだが、その交代直前にジャイアン役のたてかべ和也氏とスネ夫役の肝付兼太氏のトークショー(プラス映画上映)が行われるイベント “ジャイアンとスネ夫のスペシャルナイト” があった。
当時はまだブログもやっておらずメモも取っていなかったので、あまり詳しく覚えていないのだが、わずかに記憶にある範囲で振り返ってみたい。
筆者の1回目の参加は2003年4月、千葉県市川市の東宝系シネコンにて。映画『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』(2003)と『Pa-Pa-Paザ☆ムービー パーマン』(2003)の上映前にトークが行われている。
「きょうのイベントも “ジャイアンとスネ夫” って。“スネ夫とジャイアン” ってあんまり言わないのは、おかしいよね」
きょうはジャイアン抜きで自分だけのワンマンショーだと宣言したところで「何だって!?」とジャイアンのたてかべ和也氏が乱入。肝付氏は「ジャイアンごめん」と言い出し、みなは爆笑。
たてかべ氏は、結婚したことなくて独身なんだ〜と話していたのがなんとなく印象に残っている。また、たてかべ・肝付両氏による『ふしぎ風使い』のクライマックスシーンの生での再現もあった。
その後に同時上映の『パーマン』の主演・三輪勝恵氏も登場し、20年ぶりにパーマンを演じるのに苦労したことなどを話していた(三輪氏の地声はそのままパーマンなので、苦労?という気もしたが)。
上映終了は23時半を回っていた。筆者の隣の女子高生とおぼしき人は携帯で、終わったのでいまからすぐ帰るというような電話をしており、終電を逃さないために筆者も慌てて駅まで走る羽目に。
2回目の2004年3月、今度は川崎のシネコンで『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(2004)と『Pa-Pa-Paザ☆ムービー パーマン タコDEポン!アシHAポン!』(2004)の上映とたてかべ × 肝付 × 三輪のトークが行われた。2回目は記憶が薄いのだが、たてかべ・肝付両氏の掛け合いに、やはり笑いの渦だった。
肝付氏は “和也” というお酒をたてかべ氏にプレゼント。たてかべ氏は、当時出版差し止めで話題だった「週刊文春」を取り出して肝付氏に贈り、また爆笑。
『パーマン タコDEポン!アシHAポン!』には広川太一郎氏がゲスト出演していて、大病を経験した広川氏は常に薄着で過ごすのがポリシーで、寒い季節の収録にも薄着で参加したことなどを三輪氏が語った。
このときはトーク終了後に通路にいたたてかべ氏に握手してもらったが、観客が周囲に詰めかけ、満員電車のような状態であった。たてかべ氏は、なるべく小さな子どもと握手したいんだと話していた。
翌2005年に『ドラえもん』の声優陣は交代し、ジャイアンとスネ夫のイベントも2004年限りとなった。
2010年、たてかべ氏は前年にがんで倒れていたことをインタビューで明かしている。別人のように痩せた姿は痛ましかった。昨2014年、映画『武器人間』(2013)の吹き替えに『ドラえもん』の新旧声優陣が結集していたが、肝付氏や旧のび太の小原乃梨子氏が元気そうなのとは対照的に、たてかべ氏の声には苦しげな印象を受けた。
きょう6月19日の夕刻、たてかべ和也氏の逝去が報じられた。今夜は『ドラえもん』の旧エピソードや『刑事コロンボ』(1971)のたてかべ氏出演のエピソードを見直して過ごしたい。合掌。