テレビ『ドラえもん』(1979〜2005)にて、ドラえもんの声を長年演じ、最近は認知症を患っていることを公表している大山のぶ代氏。大山氏は7月に仕事復帰したそうで、病と戦いながらも現役で仕事を続行されているのは喜ばしい。
公表後に、夫の砂川啓介氏はテレビや雑誌などさまざまなメディアに登場しているが、それがきっかけで砂川氏の『カミさんはドラえもん』(双葉社)を久々に読み返した。この書は長い夫婦生活をシリアスにコミカルに振り返った好著で、2001年に刊行された際には面白く読んだ。
砂川氏が若い女性とデートしていたら大山氏と出くわした話など愉快なエピソードもあるけれども、読後に強烈に刻み込まれるのはふたりのお子さんを喪った話とがん闘病だろう(特に前者は、筆者にはショックだった。未読の方はぜひお読みください)。
「(大山氏ががんを告知されたころ)ちょうど、この『カミさんはドラえもん』の原稿を書き終えようとしていた。
当初、僕はこの本をちょっとしたカミさんとの愛情秘話というか、コミカルな日々を綴ったエッセイにするつもりだった」(『カミさんはドラえもん』)
大山氏のがんは砂川氏にとっても大きな衝撃だったという。
「このまま(がんを)隠し通してとりあえず本は当初の内容で出すか、それとも、カミさんが落ち着くまで出版は遅らせるか、あるいは出版そのものを取り止めてしまうか。
僕自身が本どころではない精神状態だった。ずいぶん悩んだ。一生分悩んだと言っても言いすぎではないくらいに」
結局、がん闘病には1章分が割かれた。筆者は2001年3月に映画『ドラえもん のび太と翼の勇者たち』の舞台挨拶を銀座で観覧していて、初めて生で大山氏を見た。『カミさんはドラえもん』にある大山氏のコラムによると「桜が散り、青葉が出始めるころ」にがんが告知された。あの挨拶は告知の直前だった。
巻末には砂川・大山両氏の対談が収録されていて大山氏のこんな発言がある。
「(『ドラえもん』の声は)二十五年やったらいいんじゃないかと思っているの。そのときは大々的にオーディションをやって、“この人” という人に託しましょうとみんなで話し合っているの」
2004年、大山氏をはじめ旧声優陣の『ドラえもん』勇退が報じられる。筆者は『カミさん』での発言を思い出して、大山氏は本当にジャスト25年で降りる心積もりでいたのだなと思った。だが事はそう単純ではなかったようである。
2003年3月に掲載されたインタビューで大山氏は、こうも言う。
「そうですね。あと5年はがんばれるかもしれないけど、10年というと、みんなが70代になっちゃうし、そうなったときに果たして……と思うときはあります。
いつかは、ドラえもんを素晴らしく、もっと楽しくできる方たちに全員で譲らなくちゃという時もくると思うんですね。今はがんばりますけど、いつかはって思ってる。ドラえもんをきちんと理解して、そしてドラえもんのやさしさを出してくれるような、そんな人にやって欲しいなと……。
でも、不思議に声って変わらないで出てるんですね。だからみんなで「杖をついてしまうようになってしまってもがんばろうね」って言ってます。25年やったんだから、30年も35年もがんばりますよ!(笑)」
この時点の大山氏は、交代を考えつつも「30年も35年も」という心境だったのである。先述の『カミさん』の対談が行われたのは2001年6月20日で入院直前。ちょっと弱気になっていたのかもしれない。一方それから2年近い月日を経た2003年春には、大丈夫だという感触を得ていたのだろうか。
大山氏は『ドラえもん』を降りた約1年後に『ぼく、ドラえもんでした。』(小学館文庫)を刊行していて、原作者の藤子・F・不二雄氏のエピソードの多いこちらも面白かったが、交代の経緯については明かされていない。
大山氏が病に倒れ、6月にジャイアン役のたてかべ和也氏が逝去したのを受けて、他のメンバーの鼎談が「女性自身」8月18・25合併号に掲載された。そこでしずかちゃん役の野村道子氏は「スタッフから「新しい世代にリニューアルしたい」という話」があったと明かしていて、のび太役の小原乃梨子氏は「大山さんと、かべさん(たてかべ氏)は「なんで交代するの!」って反対していたけど、今考えれば、いいタイミングだったかも」と述べる。
大山氏はがん闘病をきっかけに降板を決意したのかと思っていたのだが、まだ続投の意思があったようで、交代はどうも不本意だったらしい。いや、決めつけてはいけないだろう。先のインタビューを読んでも、揺れる心情が読み取れるのだから。
3年ほど前に大山氏が声を演じるキャラがダイハツのCMに登場し、桐谷美玲と共演しているのを見て嬉しくなった。先日、NHKアーカイブスにて流れたキャリア初期の人形劇『ブーフーウー』(1967)にも見入ってしまった。やはり筆者も、大山氏に育てられたのであった。大山氏や砂川氏の著作、インタビューをきょうも読み返している。