私の中の見えない炎

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寺田農 × 高橋巖 トークショー “和の匠・美術監督 池谷仙克の映画” レポート・『実相寺昭雄の不思議館/床屋』(1)

 映画『陽炎座』(1981)や『台風クラブ』(1985)、『ホームカミング』(2011)、テレビ『シルバー仮面』(1971)など多数の作品で先鋭的な仕事を手がけた美術デザイナー・池谷仙克。10月に吉祥寺にて特集上映 “和の匠・美術監督 池谷仙克の映画” が行われた。池谷唯一の監督作品「床屋」が上映され、寺田農・高橋巖両氏のトークもあった。津島令子氏が聞き手を務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理している部分もございます。ご了承ください)。

 「床屋」はオリジナルビデオ『実相寺昭雄の不思議館』(1991)の中の一編。

 

寺田「なつかしいというかね、昔はよかったなと(笑)。みんなが好きなことをやってて。改めて見るとやっぱり池ちゃんのは美術監督の作品だね。演出家、監督の作品じゃない。そういう感じがすごくしましたね」

高橋「池谷さん、これがやりたかったのかと。ぼくはプロデューサー兼制作みたいな。現場には入らないで外にいたんですね。出来上がって見たときは、まだ30前でよく判んなかった。いまは池谷さんのそのころの歳より上になっちゃって、何をやりたかったのかよく判りましたね。意外にエロチックなことをやりたかったのかな(笑)」

 

【『不思議館』の想い出 (1)】

 『実相寺昭雄の不思議館』は実相寺率いるコダイの制作。実相寺の他に寺田氏や大木淳吉、油谷岩夫、岸田理生、原口智生河崎実など実相寺帝国?のメンバーが監督している。高橋氏は「ワン・コイン・ドリップ・ドリーム」を監督し、全体をプロデュース。

 

寺田「1991年で日本の経済ではバブルのいちばん最後。バブルが泡沫となったぐらいのころに、このコダイにも少々の分け前みたいな話が飛び込んできたんですね。ある銀行が金を貸すから映画でもつくらないか、みたいな。3000万ぐらいかな。実相寺は300万ずつで10人が撮るのがいいんじゃないかと。それでいままで撮ったことない人、ぼくや脚本家の岸田理生さんとか、池ちゃん。演出したことのない人が撮るというのが狙いだった。何の制約もなく、好きな脚本で好きなチームで撮ると。いま考えるとバブルの残骸だね(笑)」

高橋「プロデューサーと言っても(コダイ)唯一の社員というだけですから。銀行が貸してくれるよって話で、赤坂にとんかつ屋さんがあってそこによく実相寺監督たちと夕ごはんを食べに行ったんですが、そこでこの話が出て300万で10本。コダイのトップ3の実相寺・池谷・大木が1本ずつ撮って、それ以外を若手とか監督業でない人につくってもらうと。それぞれの監督の責任で、もし300万以上の赤字が出たら自分で払う。納品まで300万でやると」

寺田「私はお金に関しては敏いというかね。もうきっちり収めました。

 寺田氏は「灯の中の対話」を監督した他に、それぞれのエピソードの冒頭には寺田氏演じる常盤台博士が登場してストーリーテラー(夢崎案内)を担当。

 

寺田「初っ端に常盤台博士っていうわけの判らないのがあるけど、私は昔からときわ台に住んでいますから、それで常盤台博士。池谷さんの作品には出てこないけど、他の作品の頭には水先案内人の話がつくんですね。その次の作品を何となく予感させるようなことを言う。常盤台博士には助手がいて、加賀恵子さんという実相寺が好きだった女優さん。大変面白い人でね、博士と助手とのやり取りは実相寺がホンを書いて、その部分は全部実相寺演出なの。自分が撮った話(「灯の中の対話」)には、特権として本編の中に常盤台博士を入れようと。それで自分も出てきたりしました」

高橋「ブリッジ(夢崎案内人)はすごく狭い事務所で撮ってました」

寺田「事務所に物がごちゃごちゃ置いてあって、そこにカメラが入って、足の踏み場もないみたいな。私は白衣を着て、助手の加賀さんは超ミニスカート。いま見るとなつかしいですね」

高橋「寺田さんの台詞の部分に宇宙語で喋るというのがあったんです。ぼくが適当にワープロでキーを打って「これ読んでください」ってお願いしたら厭とも言わずにそのまま読んでいただきました」

寺田「宇宙語はどうやって喋るんだよって訊いたら、実相寺は「そんなの判りませんよ。私も宇宙人と話したことないんだから。あなたのイメージでいいのよ」って。みんなが好きなことをやるっていう、金がふんだんにあるわけじゃないけど精神的な豊かさがありましたね」(つづく