私の中の見えない炎

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寺田農 × 中堀正夫 × 高橋巖 トークショー レポート・『実相寺昭雄の世界 -ウルトラマン創作秘話-』(3)

【現場での想い出 (2)】

 寺田氏は、実相寺監督は役者を育てなかったとよく語る。

 

寺田「桜井(桜井浩子)さんにもっとカメラに寄れって言ったりね。多くの役者、特に女優さんは実相寺組を厭がった。実相寺は役者を動く小道具としか思ってない。恨みがあって、自分が本来役者になろうと思ってたのに、当時出たばかりのテープレコーダーで自分の声を聞いちゃったんだな。ひどい声で愕然として実相寺は役者の道を歩めなかった。そこで演出に行ったので、役者を信じてなくて小道具としか使ってない。山のように実相寺作品はあるけど、1本でもひとりでも賞にノミネートされた役者はいない。自分に喜んで協力してくれる役者が好きなの。だから私を毎回出す。文句言う人はダメ。

 例えば『帝都物語』(1988)では嶋田久(嶋田久作)ちゃんがやるんだけど、本当はその役にある人が決まっててバカだから「この時代の渋沢栄一は」とか何とか一生懸命勉強してきて、実相寺は降ろしちゃう。「いくらあなたがそう言ってたって、私があなたの足元しか撮らなかったら何の意味もないのよ」って」

【実相寺監督の人間像】

寺田「『ウルトラマン』(1966)だけじゃなくて実相寺は宇宙に届くような無限の才能を持ってて、クラシックのフルスコアも読めて、朝比奈隆先生とか小澤征爾さんとかのコンサートの映像収録もやったわけ。幅が広い。実相寺の想い出をいろいろ話すと、結局は「天才だけど変な奴だったらしい」で終わっちゃう。もうジッソーについて話すのやめようと思ったことも少しあるんですけどね」

高橋「朝比奈さん、小澤さんの他にも円谷英二監督、円谷一さんにかわいがられた。松田(松田定次)監督や京都の大道具の親分にまでかわいがられたとか。じじい殺し、人たらしという感じでしたか(一同笑)」

寺田「調子いいんだよ。いいところの子だからね。母方のお父さんは海軍の提督で、いとこは合併した銀行の初代頭取できちんとした人ばっかり。ひとり、ああいう変なのが出ちゃったんだね(一同笑)。生まれのよさがあって、どこでもすっと入っていける。するするっと人の懐に入っていける魅力はあったね。

 他の監督の作品には一切興味がない。ただぼくが紹介して会わせた相米慎二とは仲良くて、お互いを尊敬し合ってた。相米がやらなきゃいいのにオペラをやっちゃって、ましてや実相寺に招待券なんか送っちゃう。そのまま逃げればいいのに相米は「いかがでしたか」って訊いて。ジッソーは「うーん、相米さんオペラはお止めになったほうがいい」(一同笑)。相米は二度とオペラをやらずに死んでしまいました。

 自分の世界しか信じていなかった。それを共有して遊んでくれる中堀とか高橋とか、周りのスタッフといっしょになんかをやると。最後は観客ゼロ、無観客映画を目指してた。リンカーンみたいで  “自分の、自分による、自分のための映画” 。多くの人を犠牲にして(一同笑)」

中堀「亡くなる10年くらい前に “誰も見なくて結構です” っていう映画をふたりっきりでつくりたいって。四畳半でふたりで撮ろうって言うから、これはちょっと…と思って「おれはカメラの用意して部屋を出るから、監督ひとりでやってください」と(一同笑)」

 一時期は多数のCMを撮っていた。

 

寺田「実相寺にはいろんな面があるんだけど、コマーシャルでも素晴らしいのを何本も撮った。カメラは中堀が撮ってる。代表的なのはソプラノ歌手のキャスリーン・バトルが「オンブラ・マイ・フ」をずっとワンカットで歌って、日本で初めてコマーシャルでクラシック音楽を使った。薬師丸ひろ子さんの資生堂の(「口紅」)とかはカンヌのCM部門のグランプリ。スポンサーはうるさいけどそこをクリアすれば、ギャランティーもいいし、生活が潤う。

 ぼくもいっしょにコマーシャルを何本かやって、ナレーションも実際に出るのもやったけど。建築会社の作品でナレーションをやって、電通が入って銀座のそばのスタジオでやった。実相寺が来ない。電通のお偉いさんもクライアントも来て8人ぐらい。実相寺は遅れて来て「あ、おはよー」。二日酔いみたいで「テストはいらないでしょ。農ちゃん、テストいる?」。いやキューだけでいいよって言ったらブースに入って本番だって。30秒で終わって「はい、オッケー」。みんな呆気にとられてて「農ちゃんはこれしかできないのよ。これ以上やっても無駄だから」。でかいスタジオを4時間くらい押さえてるのに(一同笑)。「みなさんいま帰っても会社でも困るでしょう。そのためにご用意しましたよ」と鞄からアダルトビデオを出して「この装置でじっくりと見てね。外は暑いから涼んでくださいよ。さあ農ちゃん、帰りましょう」(一同笑)」

中堀「亡くなる前に病院行って「監督、がんばってください」とか言ったけどがんばるったってね。実相寺監督はおれに「すいませんね」って、それしか言ってなかった。ショスタコーヴィッチをウォークマンで聴いて「すいませんね」ばっかりでしたね」

 

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