私の中の見えない炎

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寺田農 × 高橋巖 トークショー “和の匠・美術監督 池谷仙克の映画” レポート・『実相寺昭雄の不思議館/床屋』(2)

【『不思議館』の想い出 (2)】

寺田「(『実相寺昭雄の不思議館』〈1991〉では)実相寺という天才がトップにいるわけでしょ。池ちゃんと大木ちゃんがいてみんなで撮ろうってなると、実相寺を超えるものはどうしても出てこない。反・実相寺のものを撮るとか、撮っても実相寺カラーから抜けきらないとかいろんな人がいて、これはこれで面白かったですね」

高橋「「床屋」のカメラは中堀(中堀正夫)さんで、ところどころ実相寺作品らしいところがあって。ぼくは(自分の作品では)できるだけ違うカメラマンで、同じコダイグループの人ですけど、違う感じで撮ってもらうようにやってもらいました。

 3000万円を融資してもらったけど、どこで販売するかも決めてなかったですね。だからスポンサーの口出しもなくて逆によかったですね」

寺田「実際にできて『実相寺昭雄の不思議館』という形になったときには、バブルは完全に崩壊してるから、こんなものどこが出すんだってことになるわけですね。途中でしばらくお蔵入り」

高橋バンダイから出したんですけど2巻で止まっちゃったんですね。売れなくて。1本目の発売のときに、バンダイの商品を売ってくれるお店の集会にまで監督が行ってよろしくお願いしますって挨拶したんですけど、3巻以降はお蔵入りに。

 『世にも奇妙な物語』(1990〜)とは、ほぼほぼ同じくらいですね。向こうが先行していたかなと思うんですけど」

寺田「(お蔵入りは)当時のゆるやかさで、監督はみんな撮っちゃったらそこで完結しちゃうの。あとは販売なんか知らないんだね(笑)。責任感がない。実相寺も池(池谷仙克)ちゃんも大木(大木淳吉)ちゃんも経済的なことを言う人じゃないからね。圧迫感もなく、撮って試写もして完結しちゃったんじゃないかな。3年ぐらいしてもう1回出してみようってことで『実相寺昭雄のミステリーファイル』って看板だけ変えてやってみたんですけど」

 

【「床屋」について (1)】

 「床屋」は行方不明の妻から手紙を受け取った男(大杉漣)が漁村を訪れる。古びた床屋に入って主人(奥村公延)に髭を剃ってもらうと幻想の世界へ入っていく。

 

寺田「きょうののトップシーンで、大杉漣さんが車で来たところのバックの看板なんか、美術監督の画だね。あらゆるところが、ああ池ちゃんの世界だなって気がするね。映画の中で美術がいかに大きなウェイトを占めるか。ぼくは役者だけども、ホンがしっかりして監督が優れてて、美術がシチュエーションをつくって明かりがあってカメラがあれば、役者はらくですっと入っていけばいい。いまは美術もカメラも照明も演出もひどくて、演出は台本を眺めてカット割りを見ているだけで芝居を見ていないんだから。だから役者は自分で小細工をする。ますますつまらなくなるね」

高橋「「床屋」は南伊豆の漁村で撮ったんですけども、床屋さんがあるという前提でロケハンしてたんですね。池谷さんと制作部と伊豆半島の海岸沿いを回るんですけど、ひなびた床屋さんがあって行くと「うちがぼろだから使いたいのか」って言われて追い返されちゃうんですよ。ようやく協力的な方がいて、見つけたのは夜の8時近かったと思います。もうきょうはだめだって池谷さんと言ってたら、あった。協力していただいて、奥村公延さんの所作も全部教えていただきました。奥村さんを真下から撮ってるときに天井にビニールが貼ってあって、池谷さんは助手の人に準備しておいてくれと。雨漏りがしてるって設定にして、しみを上手くやりたいんだって。そのビニールにできているしみにすごくこだわってましたね。ほとんど映ってないんですけど。細かい小道具も池谷さんの指示だったんじゃないかな。野菜とかも」

寺田「床屋だけ東京で撮るってわけにはいかないもんね」

高橋「300万ですから何回も往復はできない。2泊3日で全部撮る」

寺田「地方ロケは「床屋」だけ?」

高橋「「床屋」と清水厚くんのだけ。あとは東京近辺ですね」

寺田「思い出した。それでおれが撮ったのは200万ちょっとで、他の奴の赤字を補填したんだ。ぼくはえらいなあ(一同笑)。自分でやって監督に向いてないなと思ったね。わがままが言えないのよ。監督は実相寺みたいに、何が何でもやるみたいにね。おれはテストが嫌いで、1回やったら次と。テストでやったことを(本番で)やってくれる保証はないんだよ。特に若い役者はね。AVを撮ったときは(テストをあまりやらないで)すぐ本番。ぼくはひとりの役者ばっかり見てOKって言ったら「彼女、台詞が終わった後ずっとカメラを見てますよ」って。ふたりいて片っぽの人は台詞が終わったら、ずっとおれのほうを見てるわけ(一同笑)。監督にはなれないね」(つづく