実相寺昭雄監督が撮った『ウルトラマンマックス』(2005)のエピソード(第24話「狙われない街」)は円谷プロの倉庫で撮影され、俳優で怪獣のメンテナンスも行う打出親五が出演している。夕日の差し込むシーンは印象的。
「実相寺さん、この頃、具合が悪かったでしょう。ほとんどモニターの前から動かなかったですよ。少し動くのも大変そうでねえ。スタッフも神経を遣って、足音も控えめで、そっと動いてましたよ。それでも夕日の照明を時間をかけてやってね。ワンカットずつライティングに凝って撮ってました。窓から差し込む夕日は、倉庫の小窓の外にライトを置いてそう見せてる」(「フィギュア王」No.118)
『マックス』の放送後、実相寺は『N響アワー』に出演した。筆者は知人が「実相寺監督がテレビ出てるよ」とメールで教えてくれて慌ててテレビをつけたので、終盤しか見られなかった。映画『D坂の殺人事件』(1998)や『姑獲鳥の夏』(2005)などで組んだ作曲家の池辺晋一郎が司会を務めている。
「実相寺演出の『魔笛』を流したんじゃなかったかな。『姑獲鳥の夏』の直後だったけど、顔色がよくなかったことが印象に残っています」(『実相寺昭雄研究読本』〈洋泉社〉)
『N響アワー』の後に実相寺は入院した。評論家の川本三郎は、実相寺から手紙が来たことを書いている。
「今年六十九歳になる実相寺さんは最近、大病を患い、手術されたとのこと。幸い術後の経過はよく自宅で静養されているという。
手紙には病後の心境を詠んだ俳句が五句、添えられている。どれもいいものだが、とくにひとつ心に残るものがある。
「古書店に寿命の灯ひろいたり」
内臓を摘出する大手術を受け、なんとか持ちこたえ、生きながらえた。いのちの大事さを重く感じる静養の日々、ふと立ち寄った古書店で昔の本を手にし、しみじみとまた読書できる有り難さを思う。
実相寺さんの快復を祈らざるにいられない。同時に、古書店で見つけた昔の本に静かな喜びを見出している実相寺さんの姿に安心もする」(川本三郎『東京暮らし』〈潮出版社〉)
退院後、実相寺は遺作となった『シルバー假面』(2006)に取り組んだ。脚本の中野貴雄は、現場の様子を回想する。
「『シルバー假面』の企画から撮影・仕上げにいたる一年と言うのは、実相寺さんのガン発覚と闘病、そしてその死に至る一年と全く重なっている。僕達スタッフは日に日に濃くなっていく実相寺さんの死の影を感じていた。監督はよく現場で倒れたし、「あー駄目だ。俺はやっぱり死ぬなあ」と冗談めかして口に出していた。闘病しながらの撮影現場で「中野さん、膨らまなくてすいませんね、どうも」なんて言ってたが、僕が監督としての実相寺さんの凄みを見た瞬間がある。
それはカリガリ博士が女を殺す場面だ。女優に対する演出が「今のテイクより0.3秒遅く、17度後ろの方に倒れろ」みたいにミリ単位なのだ。その女優は僕の知り合いのダンサーで、独特の生活感と「貧乳」の持ち主という、監督の好みのタイプだったから、演出魂に火が付いたのか。あるいは待ち受けている「死の瞬間」に対するシュミレーションだったのか」(『実相寺昭雄研究読本』)
『シルバー假面』の完成後に再入院。弟子筋の北浦嗣巳監督は、晩年も身近にいた。
「『シルバー假面』が終って、体調を一気に崩して入院されたとき、連日病室に顔を出し徹夜で付き添ったりしていたんですけど、ベッドの上でずーっと音楽CDを聞いていたんです。あれはショスタコーヴィッチだったかと思うんですけど、それをよく聞いていた。入院する前に映画の企画も3本ほど動いていて、撮るつもりでいろいろ資料調べの指示をもらいました。でも、先は長くないことの予感もあったはずで…どんな気持ちでショスタコーヴィッチを聞いていたものかなぁと今でもよく考えるんです」(『実相寺昭雄研究読本』)
大半の作品で組んだ中堀正夫カメラマンも語る。
「(『シルバー假面』の)試写に来たときは支えが必要で、ここまで悪くなっているなんてって驚いた。その約一週間後に亡くなってしまいましたね」(『実相寺昭雄研究読本』)
晩年の実相寺作品は特に飄々として見る者を煙に巻くようだったが、裏側では病魔との凄絶な戦いがあった。限られた時間に少しでも作品を遺そうと、必死だったのだろう。
「最後は血圧降下で無気力状態になり身罷った。壮絶な戦死で立派だった」(石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』〈筑摩書房〉)