

2025年1月27日に行われたフジテレビの10時間記者会見にて、特にきびきびとした対応をみせたのが遠藤龍之介副会長(当時)であった。遠藤は80年代からさまざまな作品を制作しており、その歩みを簡単に追ってみたい。
1981年にフジテレビに入社した遠藤は、1984年に『どきんちょ!ネムリン』を初プロデュース。遠藤の名がクレジットされるのは『ネムリン』の第17話以降なのだが、後年の遠藤は第10話「バス停くん田舎へ帰る」が印象に残っていると述懐しており、シリーズ序盤から関与していたとおぼしい。『ネムリン』は浦沢義雄脚本のシュールな特撮コメディーで、殊に第10話は都市生活に苦しんだバス停が田舎に行って案山子になるという「感動」編で、放送当時も話題をまいた。
この『ネムリン』や『ペットントン』(1983)などの一連の作品は東映不思議コメディシリーズと呼称され、浦沢脚本のあくの強さや演劇系俳優の怪演、安い特撮の面白みが際立つ。しかし浦沢の証言によれば、実は重要な役割を担っていたのがフジテレビ側のプロデューサーだったという。シリーズ第1作の『ロボット8ちゃん』(1981)以後、キャラクターデザイン(石ノ森章太郎)にはフジの前田和也プロデューサーの意向が反映され、『ペットントン』でロボットのキャラクターを排除して『E.T.』(1982)ばりの宇宙生物を主人公に据えたのは前田の意思だった。その次の『ネムリン』で前田のもとについた遠藤は、後年のインタビューにてこう語る。
「あのシリーズは戦隊シリーズでもないし、女子ものでもないんですよね。そういう中で新しいものをやりたいなということで、子どもさんの番組なんだけど、ちょっと大人が見てもなんとなくクスッと笑えるようなことをやろうと。やってみたら難しかったんだよなあ…」(「デイリースポーツ」2019年7月19日)
「僕が一番気に入っているのは、バス停が故郷へ帰るという話なんですけど…。地方のバス停が何らかの事情で東京に来て、塗り直されて丸の内かなんかにいるんですよ。バス停がだんだんホームシックになっていくんですね。それで、ある日は10m、次の日は30m、故郷である南の方にずれていって、バス停が移動している!って人々の話題になるっていう話(笑)。主人公がバス停を故郷に帰してあげたら、ラストカットでバス停から手紙が来る。そういう話を毎回考えるのって結構大変なんですよね」(同上)
記憶違いがあるけれども、「バス停くん田舎へ帰る」はほぼそんなような話で、長い歳月を経ても遠藤には鮮烈な記憶として残っているのだった。
『ネムリン』などの浦沢義雄脚本による不思議コメディーシリーズは、ただシュールでクレージーなだけでない側面もある。不思議コメディーは『キイハンター』(1968)などの東映東京制作所の作品で、東京制作所はもとより東映社内の組合活動家を配転、いや左遷させるために設けられた部署であった(浦沢はスタッフルームがバラック小屋だったと回想している)。1984年、東映の岡田茂社長(当時)は強権発動して東京制作所をつぶしにかかり、綱引きの末に制作所は組合映画『高原に列車が走った』(1984)の前売り券を国労などに捌かせることで窮地を凌いだ。『ネムリン』の植田泰治プロデューサーや佐伯孚治監督、音楽の藤本敦夫などは『高原』にも参画しているが、ドライなコメディの裏側にはスタッフ陣と会社との壮絶な闘争があった。
プロデュース第1作『ネムリン』において内容のシュールさのみならず、背後の争いが目に飛び込んできたことが若き日の遠藤に無意識的であれ影響を与えたのではないか、と筆者は想像している。温和そうに見えて面従腹背、というかひと筋縄ではいかない何かが遠藤にはあるように思われるのだった。
『ネムリン』につづく浦沢義雄脚本『勝手に!カミタマン』(1985)では遠藤は第1話からプロデューサーとしてクレジットされ、第27話では出演までしている。平行して大映ドラマ『スタア誕生』(1985)や『ヤヌスの鏡』(1985)、『花嫁衣裳は誰が着る』(1986)にも参加した。
『カミタマン』の次の浦沢脚本『もりもりぼっくん』(1986)では、遠藤はフジテレビ側のチーフプロデューサーに就任。またしても出演しており(第39話)、このシリーズに乗っていたのが窺える。浦沢が『ぼっくん』と同時進行で執筆したアニメ『あんみつ姫』(1986)も遠藤がプロデュースし、作中には「テレビ局の遠藤プロデューサー」という台詞があった。
シリアス性が強まり、しかも悲劇的なラストを迎える『ぼっくん』は商業的に不振に終わったけれども、それゆえか大胆に路線変更した『おもいっきり探偵団覇悪怒組』(1987)は好評を博した(第29話以降は石原隆プロデューサーに交代)。2024年にイベントが開催されるなど、当時の子どもたちには伝説的に語り継がれる。
1990年代に入り、遠藤はタブーだった政界を舞台にした異色作『ジュニア・愛の関係』(1992)をプロデュース。脚本の長坂秀佳は「いまだに「テレビドラマではいちばん」という業界人がいるほどの出来で、わたしは今でも大好きだ」と愛着を語る(『長坂秀佳術』〈辰巳出版〉)。
『ジュニア』の他に遠藤は『鬼平犯科帳』(1989)や『御家人斬九郎』(1995)、『銭形平次』(1997)、市川崑ほか演出『盤嶽の一生』(2002)など時代劇も多数手がけた。ライブドアの買収問題の際には広報部長を務め、やがて執行部へと昇進。フジテレビ10時間会見では他の出席者と異なり、切れ者ぶりを発揮する。筆者は『ネムリン』や『カミタマン』、『覇悪怒組』などに影響を受けていたが、一連のフジテレビ問題によって遠藤の話す姿を初めて目にした。
「文藝春秋」2025年9月号などによると遠藤はいまだに騒動の渦中にいるようだけれども、先述の通り、20代のころの彼の眼前には『ネムリン』制作陣の社内抗争があった。フジ問題は性質が全く違うとはいえ、厄介な情況に置かれたいま、彼の胸中に過去の記憶がどのように映じているのか、筆者は尽きせぬ興味を抱いている。




