私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

なべおさみ トークショー レポート『吹けば飛ぶよな男だが』(2)

【香具師と『男はつらいよ』シリーズ】

 自他ともに認めるなべ氏の代表作・出世作が『吹けば飛ぶよな男だが』(1968)。若い男の悲劇を描いた、山田洋次監督の傑作である。

 

なべ「ぼくの映画を撮ってるのはマチャアキ(堺正章)が引っ張り芸をやった直後ぐらい。渡辺プロの社長に「今年の隠し芸で8分お前にやるから、なんかやってみせろ」って言われました。マチャアキの引っ張りに負けないものをつくりたいなと思って、子どものときに蒲田や大森の駅前や浅草の六区で香具師のみなさんがお客さんをいいようにあしらって商売するのをずっと見ていて、何て上手いんだろうと。啖呵売をやってみたいと思いまして、その道のいろんな組に(取材に)行きました。組によって文句が違うんですね。これ面白いなと思って、3つの組をひとつにまとめ上げて8分ぐらいに。

(啖呵売を実演するがブログでは再現不能…)

 隠し芸を覚えてたら、その間に『吹けば飛ぶよな』が決まって撮影に入った。空いてる時間に啖呵を練習してたら、山田先生が「何やってんだ?」。

 うちに帰らないで、大船(撮影所)の入り口にある旅館に雪隠詰めで。山田先生も大船の観音さまの近くの日本旅館に泊まっていて、いつも終わるとふたりで正門から帰って行く。あるとき「お腹空いたか?」って言われて夜の9時ぐらいに「おでん食べよう」。正門を出たところにおでんの屋台があって。山田先生もぼくも酒飲まないから、おでん食べながらお茶を飲むんですよ。そのときに「きょうやってたのは何?」「啖呵売って何なの?」って言われて。「香具師がお客さんを引きずり込んで、やがて自分の品物を売っちゃうっていう芸当ですよ」って説明して、覚えてる最中のをやってみせたんですよ。そいでまだ質問するから「物を知らないね」「東大出はこんなの知らないの」って思いながら(一同笑)。「稼業人と博打打ちと2種類がいて、稼業人は香具師と言うんです」「香具師はお祭りなんかを仕組んでそこで飴や金魚をいろいろ売ったんですよ」みたいな。「もっと話を聞かせて」と言われて、毎日のようにおでんを食いながら香具師の話を面白おかしく。いろんなところで情報を得てますからね」

なべ「2年経ったら寅さんの映画(『男はつらいよ』〈1969〉)をやってて、見に行ったら渥美清さんが啖呵売を。あれ、シリーズを50本やってるよね。48本? おれ1本も出てないよ(一同笑)。おれが行くと「これはおれがね」という話になっちゃうでしょ。山田洋次はおれが、この話を渥美さんにするのが厭だったんだよ。「渥美さん、これはそもそもね」って。それで、おれを1本も出さないんだよ。おかしいでしょ。他に喜劇人いっぱい出てますよ(笑)。それが現実。でもね『吹けば飛ぶよな』の上映が御茶ノ水であって、山田さんとふたりでトークをしてくださいって言われて、おれはこの話をお客さんにしちゃう(一同笑)。山田先生は「うーん」って言ってました。おれの啖呵からヒントを得たのは間違いない。

 香具師は親分の回状さえ持ってれば日本全国に行って、どこでも飯を食わせてもらえる。3日は食わせて、お小遣いを持たせて帰してやらなきゃならない。香具師は、一門が全国どこでも通用する世界。山田先生は「全国行けるの」って訊くから「その場を仕切ってる親分のメンツさえ通しておけば、ご挨拶しとけばやれるんですよ」って。そのことを上手く使った。あの時代は大船でやるより、地方に出てったほうが映画はらくだった。地方に(ロケに)行って、渥美清と倍賞千恵子が例えば銭湯の前でお芝居をすれば、その銭湯からいくらか出ちゃう。援助してくれるんですよ。最初のころはまだ柴又で撮ってるけど、有名になれば(地方の)町ぐるみで待ってましたと援助してくれる。プロデューサーも山田先生もウハウハですよ。松竹の出す金は少なかったですから。行く先々で優遇されて。ただ渥美さんはお酒も飲まなくて、部屋でマッサージさえあてがっておけば大満足だからね。そういえば、おいちゃんやってた松村達雄さんも怒っていろいろ言ってましたよ(一同笑)」