私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

『山田太一からの手紙』を嗤う

 2023年秋に逝去した山田太一の追悼として一周忌に放送されたのが『山田太一からの手紙』(2024)である。他に山田の追悼番組は『クローズアップ現代』の「山田太一 生きる哀しみを見つめて」(2023)や『TBSレビュー』の1回分、『あの日 あのとき あの番組 拝啓 山田太一様』(2023)などで、筆者がフォローできていないものもあったかもしれないが、鑑賞した中で『山田太一からの手紙』は最もひどい出来で愚作だった(そろそろ時効なので言ってもいいだろう)。

 逝去直後(2週間後)に迅速に取り上げた「山田太一 生きる哀しみを見つめて」は、29分という短い時間で水谷豊・中井貴一柳沢慎吾といった著名俳優に加えて山田の『男たちの旅路 車輪の一歩』(1979)をめぐって山田と対話した身障者の方々にも取材し、2週間でよくここまでつくり上げたと感嘆した。山田をただ単に良心的な巨匠作家として扱っていてシニカルでシビアな眼やセンセーショナルな作家性を描いていないという批判もSNSではあったけれども、ごく短い取材期間でしかもわずか29分では限界も当然あるだろう。また『TBSレビュー』は過去に山田との接点が少なかったように思われる八木康夫プロデューサーを引っ張り出し、元・読売新聞編集委員の鈴木嘉一が山田へのリスペクトの足りない現状に苦言を呈するなど目を引いた。

 逝去から間もなくの諸作は慌ただしく制作されたのだろうが、それぞれに興味深いものであった。それに対し、1年という月日を経て(一周忌)、しかも59分という最長?の枠を与えられた『山田太一からの手紙』は、先述のような面も含めた山田の功績を多角的に伝える絶好の機会であり、筆者も大いに期待した。しかし同作は山田が筆まめでほとんどどんな人の手紙にも返信していたというそれだけを59分かけて描くという、呆れ果ててしまう内容だったのである。

 生前のインタビューで山田は「島村抱月の言葉に「人間がデガダンスになるのは簡単だ。手紙の返事を出さないで、何日かおいて、たまっていくうちにデガダンスになる」というのがあるんです」と語り、「もらった手紙の返事は、その日に書くようにしていて、一日平均5枚くらい」だった(「パンプキン」1989年7月25日号)。自費出版みたいな本が送られてきても、目を通して返事を出すことすらあったという。飲み会などにさほど出ない山田の社交術だったのだろう。

 野沢尚脚本『反乱のボヤージュ』(2001)が制作された際、映像が送られてきたと山田は文庫の解説で述べている。

 

テレビ朝日から「野沢さんが送って下さいといってますので」とビデオテープが届いた。「あなたの『男たちの旅路』の現代版を書いたつもりだそうです」と。(…)力作だったが、異論もあり、いいところをほめて手紙を出した」(『烈火の月』〈小学館文庫〉)

 送られた作品をさほど買っていなくとも誉めて手紙を返したという回想には、山田の気配りとドライさとが垣間見える。『山田太一からの手紙』の中では山田脚本の『それぞれの秋』(1973)などに出演した小倉蒼蛙や『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどの中島唱子に宛てた手紙も紹介され、重要かつ有能な俳優であるだけに、両氏への手紙は真情がこもっていたと見るべきだろう。しかしその他の人たちに対しては、おそらく「いいところをほめて手紙を出した」範疇に過ぎないのではなかろうか。見る価値が感じられるのは小倉と中島の映像のみで他の、山田先生と文通した人びとの話は空疎である。既出の追悼番組と比して59分という破格の扱いで山田の業績を周知するチャンスに、この番組の制作者は寝ぼけているのか。

 ラストでは、当番組を演出した人物(合津直枝)の監督映画に山田が寄せた手紙まで画面に登場した。だがこのケースもおそらく本音を伝えては角が立つので「いいところをほめて手紙を出した」のだろう。山田の過去のインタビュー記事を読んでいても、当該作品に関して山田はまるで触れていないからだ(山田は同年代や若い世代の作品をあまり見ようとはしなかったが、それでも評価した場合はどこかで言及していた)。つまり、凡庸な映画でも面識のある相手ゆえ口先だけで誉めたのが実情である。

 著名な大作家から手紙をもらえば、誰しも嬉しいには違いない。しかし相手は代表作『岸辺のアルバム』(1977)のラストを座りのいい家族再生のハッピーエンドに持って行くことがいくらでもできたはずなのに、その後の主人公たちがどうしているのかは「みなさんの御想像に、ゆだねた方が、いいだろう」という不安な形にするような、ひと筋縄ではいかない人物である。いや、山田の手紙に限らず、社交辞令であれ悪口であれ世間で流通する無数の言葉をいちいち真に受けるのは愚かしいのではあるまいか。