【監督インデックスと作品解説(3)】
鈴木「2010年に原稿執筆が終わってたんですが、ぼくのところに舛田利雄が来たのは2010年(笑)。まだこんな大物が残ってたのか」
瀧本「申し上げにくいんですけどお願いした方に書いてもらえなかった項目がいくつかありまして、そういうのが山根さんや鈴木さんのところに行ってしまいました」
山根「結構ありますが、どなたかに頼んでおいて…」
鈴木「その人が引っ張ったんですね。舛田利雄を担当してよかったのは、ここの一か所を書きたかったんですよ。アクション映画は現在形なのに舛田利雄が撮るとノスタルジックな味が出てくる。そのことが1行残ればいいと。ついでに『狼の王子』(1963)とか『昭和のいのち』(1968)とか見直して素晴らしかったですね」
山根「そういうふうに言っていただければ、まあ最終的にはよかったと…(一同笑)。誰がどういう監督項目を担当したか一覧表で載ってて。ぼくも何人も書いてますが、編集作業をやらないといけませんから文章を書くのはなるべく少なくしたい。それでも加藤泰と深作欣二はやりますと、ただ後はやらないでおきましょうと。増村保造についてぼくは1冊書いてますけど、他にすごくいい増村論を書いた人を知ってましてその人に頼むわけです。押し問答の末に丁重に断られたんで、じゃあ増村はぼくがやるかというふうになった。他にも本来別の方に頼みたかったのに、書く書くと言って10年以上引き延ばして書かない人が出て来て(一同笑)その人の担当はぼくが書いたと。ぼくが若い人に押しつけるようにして、若い人はものすごく張り切ってくれたり」
【分数やタイトル】
鈴木「2010年にはだいたい原稿が書き終わってたんですね」
瀧本「22年間の編集期間のうち、最初の5年がルールづくりですね。次の5年が執筆依頼をして、執筆していただいて回収する。10年が過ぎて6〜7割の原稿が集まってました。そこからの10年が苦しくて、校閲です。公開年月日や長さなど、山根さんと編集部が徹底して校閲する。最後の2年はラストスパート。この期間に出さないともう永遠に出ないんじゃないかということで」
山根「校閲に10年もかかるとは全く思っていなかったです。映画の題名に何年何月封切とかフォーマットとか分数つまり長さが書いてあるんですが、この長さがこんなにいい加減なものかと。サイレントフィルムは4巻とか5巻とか、巻数しか判らなくて厳密には判らない。1巻が9分なのか8分なのか判らない。あるときからメーター数が判って、計算したら分数が出る。ですが資料では95分なのに実際に割ってみたら95分30秒。この作品は95分では見られないわけです。だから全部この事典では計算して繰り上げにしました。95分と0.5秒だったら切り捨てました。でも1秒でもあったら96分にしちゃう。こんなアホなことで苦労するとは(一同笑)考えもしなかったんでびっくりしました。どうでもいい映画はもちろんですけど、黒澤明の映画でも分数が(資料によって)いろいろ違ってたんです」
鈴木「本文フォーマットは早くて2000年にはできてるんですね。その後で表記の問題が膨大に出てきました」
瀧本「どこからどこまでが作品タイトルなんだと。事典なので統一的に表記したい。そのルールをつくるのがすごく大変で、ルールをつくっても作品がたくさん押し寄せてくると適用できなくてまたルールをつくり直すという繰り返しでした」
鈴木「山根さんが「日本経済新聞」に7月16日に書いてますけど、田中絹代の「伊豆の踊子」は有名な作品なんだけどよく調べていくと『恋の花咲く 伊豆の踊子』(1933)だったと。「長谷川・ロッパの 家光と彦左」と呼称されていましたけど実は『家光と彦左』(1941)が正式名称だと判ってきた。山根さんもよくおっしゃってますけど、映画という不定形なものは事典に向かないんじゃないかと」
山根「小津安二郎の『生れてはみたけれど』(1932)はみなさんもごらんになってますよね。だけど実は「大人の見る繪本」というのが頭についてるんですね。誰も言わないし、文章を書くときも『生れてはみたけれど』で十分なんですが、だけど事典ですから。中川信夫の『エノケンの頑張り戦術』(1933)という映画があるんですけど、タイトルになってます。エノケンの何とかという映画はいっぱいあるんですけど、ではそれが全部タイトルかというと違う奴もある。
あらゆる資料に、松竹の社史にも『阿片台地 地獄部隊突撃せよ』(1966)とあるんですが、加藤泰の原稿でもそうなってるんです。何年か前にこのフィルムのネガがあって再上映できたんですが、ぼくは見てびっくりして腰抜けそうになって。普通は映画のタイトルは左から読むんですが(「地獄部隊突撃せよ」の文字が右にある)。アイウエオ順なら「阿片台地」のアでなく「地獄部隊突撃せよ」のジに置くべきではないかと。ただ事典ではアに置くことにしました。こういうのはぼくに言わせると、デザインであると(一同笑)。タイトルもデザインであると言わないと☆マークとかもありますからね。
川島雄三の映画で『洲崎パラダイス 赤信号』(1956)。ぼくは同時代に見てて『赤信号』だと思うわけです。だけどいまは誰も言わない。「川島雄三の『洲崎パラダイス』」って言うんですね。どっちがメインなのか。だって、タイトルのでかさから見ても『赤信号』じゃ…?(一同笑)。題名の解釈も時代によって変わっちゃう。事典の場合は『洲崎パラダイス赤信号』にすると」
瀧本「画面と宣伝広報の配布物とで、題名が微妙に違うという例もあります。阪本順治監督『新・仁義なき戦い』(2000)は、チラシとかでは「新・仁義なき戦い。」と最後に。がついてる(一同笑)」
山根「この映画は大変面白かったんで(批評を)書いたんですが、その後で阪本監督に会ったら「山根さん誉めてくれてありがとう。でも題名間違えてたよ。最後に。がつくんや」って言うからおれはすぐ反論したわけ。「それはおかしい。あれは広告のデザインである」と(一同笑)。画面を見てるわけで。はついてない。北野武の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)は画面でも。がついてる。ただ『新・仁義なき戦い』はついてない」(つづく)