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山根貞男 × 寺田農 × 岡島尚志 トークショー レポート・『日本映画作品大事典』(4)

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【正確性について (1)】

岡島キネマ旬報の作品大鑑のことがまえがきに書いてありますけど、自分のことで申しわけないんですが1978年ごろにキネマ旬報で事典をつくってたんですね。キネマ旬報でも判らないことや間違いがいっぱいあって、1958年の『旗本退屈男』は市川右太衛門300本記念映画なんですが、当時の編集長の嶋地高麿さんが完全主義者で、ほんとに300本か調べろって言うんですね。私が困っていたら事務所に行けって。すると事務所に300本がきちんとリスト化されていたんですね。当時はワープロもないので手書きでしたけど、お借りしました。もし学者のような人が調べたら、その300本もきっと怪しいことは怪しいんです。だけれども俳優でも自分の作品をリスト化してるのはすごい方だなと思って。ご自分の作品、ウィキペディアで『恐山の女』(1965)からずらっとありますけど正しいんでしょうか」

寺田「ほとんど覚えてない(一同笑)。覚えてるのは何本かありますけど、全く記憶にないのもあります。やったかどうか定かでないのも。いちいちチェックしたこともないけど。ただ右太衛門先生や片岡千恵蔵先生とか、あの時代の大スターはそういうことをきちんとやってたんじゃないかな。ご本人はともかく事務所がね」

岡島「事典や辞書は正確さがすごく要求されますね。42年前に「キネマ旬報」の仕事をしていてたくさん困ったことがあって。信用するのはスクリーンに現れたクレジットで、どの人がどういう仕事をしたかが書いてあります。いちばんさかのぼるのはそこです。「キネマ旬報」は長い間、情報を蓄積してるんですけどやっぱり間違いがあるんですね。どこまできちんと修正できるかが難しい。

 42年前に私は丹波哲郎さんの全作品リストをつくらされたんですね。丹波さんのデビューしたころに「キネマ旬報」に端役でエンバテツっていう人がいたんです。編集長に言われて丹波さんのところに電話したんですね。お風呂に入っていらっしゃって「待ってろ」と。30分くらい経って電話に出られて「おう、丹波だ」(一同笑)。エンバテツって人はご本人ですかって訊いたら、判らないっておっしゃるんですね。あらすじはあるかっておっしゃるから、ありますって言ったら、読めって。「キネマ旬報」に載ってるあらすじをずっと5分くらいかけて読んだら「判らん」と(一同笑)。いまだにエンバテツさんが丹波哲郎さんか判らない。フィルムを見ることができれば判るんですが、私にとってはトラウマで、いずれにしても資料に正確さを求めると大変なんですね」

山根「映画は資料で取り押さえることができないと本当に思いました。「キネマ旬報」のキャスト表に載ってるのに画面には出てないとか。企画がスタートしたときの資料を「キネマ旬報」が載っけてるんですね。そこから製作に入って、その俳優さんが交代したりして出てない。ネットで作品を調べると「キネマ旬報」と同じ間違いが出てくると、ずいぶん前に気がついたんです。「キネマ旬報」の間違いがそのまま載ってるんですね。「キネマ旬報」は企画の段階と制作の段階とで違うというのを全部フォローしてるわけではないので、しょうがない。

 ぼくらが最終的に信用するのは、もしフィルムが残っていればそのクレジット。ポスターも信用できない。そんなに昔じゃないけどにっかつロマンポルノの末期だから1980年くらいの作品、もう昔か。執筆者のひとりが電話してきて「〇〇ってロマンポルノにこの人出てきた?」と有名な俳優の名前を言うんですね。「多分出てないと思うよ」って言ったら、ポスターには出てると。相手も「出てなかったと思う」と。そのころはロマンポルノがDVDにまだなってなかった。日活に電話したんだったかな、それでポスターが間違いだと気がつく。執筆者とぼくとでどれだけ苦労してるかですが、そんなのしょっちゅう」

寺田「クレジットもダメなんですよ(一同笑)。相米慎二の『魚影の群れ』(1983)では私はクレジットにちゃんといる。ところが出てない。緒形拳さんを取り調べる刑事で1日かけて撮ったけどすぱっと切っちゃって、でもタイトルは別に進行しててキャスティングの段階でつくらないと間に合わない。また評判のいい映画でよくテレビで放送されるんですよ。「テレビ版だからカットされたんだね」って言われて、最初からないよ(一同笑)。ここが役者としておいしいというシーンに出ると、そういうのがいちばん切りやすい。

 実相寺昭雄の『無常』(1970)でも私はタイトルに出てる。ATG版には私のとこはあるんだけど、当たったんで拡大公開したんですよ。そのときに尺が長いということで切っちゃった(一同笑)」

山根寺田農さんという俳優を監督たちは何と思っているのか(一同笑)。尺が長くなると寺田さんを切っちゃうとは失礼ですね。

 相米慎二はちょっと特別ですね。デビュー作の『跳んだカップル』(1980)でもクレジットに出てる女優が出てないですね。相米慎二の映画だったらぼくは見てますから間違いませんけど、後世にこういう事典をつくる人がいて『魚影の群れ』に寺田さんの名前を書くかもしれない」

寺田「映画は生きものだみたいなことを山根さんはおっしゃるけど、生きものだからこれなら極めつけというのはないですね。クレジットすらも信用できない(笑)」

山根丹波さんも記憶はいいですよね。そういう人でも筋書きを聞いて判らんと。ご本人も判らない」

岡島「そういうことが有名な映画で起きると苦労しますね。修正に長い時間がかかる。ただ昔、ある映画で好きな女優さんの名前が間違ってて、書いて指摘したら1か月くらい後に直ってたことがあるんです。直すこともあるわけですが。

 アメリカの『大列車強盗』(1903)の役者の名前が、つくられて何十年か経って間違えて伝えられたんですね。それからずっと世界中の大学でその役者が間違って教えられていたんです。直されたのは2000年代になってから」

山根「ぼく見ましたけど、クレジットはないですよね」

岡島「ないです。出演した役者に新聞がインタビューして、そのときに誤植があってそれがずっとつづいたんですね。世界映画史の始まりに間違いがあって、判ったのは100年経ってから。

 フレイヤ―、チラシとかにも間違いがあって、映画を見てみたら出てないとか。全部は残念ながらチェックできない」

山根「この事典に間違いがあってもいいですね。許していただこう(一同笑)」

寺田「よく朗読を頼まれてここでもやりましたけど、あるところで森鴎外の「高瀬舟」で、案内のチラシをいただいたら “高瀬川” になってる。お客さまを前にして「高瀬川は1980年代に活躍した相撲取りの名前で誤植である」と申し上げたら(一同笑)主催者の人は「いやあ、申しわけなかった。でももっとすごい誤植もあるんですよ。戦後まもなく「主婦の友」に「赤ちゃん服のつくり方」という特集があって、何故か2日で完売になった。誤植で服が抜けて “赤ちゃんのつくり方” になってた」と(一同笑)」(つづく