私の中の見えない炎

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山根貞男 × 鈴木一誌 × 瀧本多加志 トークショー レポート・『日本映画作品大事典』(1)

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 100年以上の日本映画のデータを収めた大著『日本映画作品大事典』(三省堂)が22年の歳月を経て完成。編集は映画評論家の山根貞男で、ブックデザインは鈴木一誌が担当している。刊行を記念して山根、鈴木両氏と滝本多加志・三省堂社長によるトークショーが行われた。山根氏と鈴木氏は旧知の間柄で、山根氏は「キネマ旬報」に「日本映画時評」を30年以上連載しているが、そのデザインは鈴木氏(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

【企画段階】

鈴木三省堂に福島さんという編集者がいて、福島さんが一貫して統括の編集者でした。記録によれば1998年の某月某日に企画についてフィルムセンターの岡田(岡田秀則)さんに相談しています。この大それた企画の胚胎が1998年にあった。日本映画と称されて制作されたすべての作品の解説を付した事典をつくろうと。謎があって、何でその企画が福島さんに降臨したのか。また作品事典ということは作家主義に逆らうんですが2000年当時はまだ作家主義が全盛だったんだけども、そんな時代に抵抗する企画を立てたのか」

瀧本「まだ私はこの企画に関わっておりませんで、本人によると日本映画を見るマシンとして監督のフィルモグラフィーが判る事典をつくってみたいと」

山根「ぼくは福島さんに会ったことがなかったんです。1998年の秋に、鈴木さんにこういう事典をつくるからと。それで1999年から編集作業を始める。22年かかったことになります。

 最近まで忘れてたんですが瀧本さんは記録魔で会議をノートに残していて、そのメモによれば2001年2月に発行するというふうに社長決裁が下りています(一同笑)。決裁が下りなければ本づくりはできないけど、2年間でできるという前提で始めたわけですか」

鈴木「決裁を下ろせばいいって感じだったのかな。どう考えても7、8年かかるだろうって」

山根「1895年にシネマトグラフが誕生して、20世紀に映画というメディアがさかんになった。その総まとめ、20世紀の映画事典をやろうというイメージでした。もし2年で出ていたら21世紀の作品は入らなかったわけです。闇雲に走った気がしますね」

鈴木「作品事典の必要性はあって、講談社の女性編集者の亭主がロサンゼルスに転勤になって、いっしょに行ったら夜に日本映画が結構やるんですって。何の作品か全く判らないと。それで私家版みたいな作品事典を送ったことがあります。需要はあるなと思っていました。

 三省堂が偉かったと思うのは、辞書は本文フォーマットが大事ってことで誰よりも先にぼくのところへ来たということ(一同笑)」

山根「鈴木さんはブックデザインをいっぱいやっていらっしゃいますけど、映画事典は初めてですか」

鈴木「そうですね。1998年に福島さんと相談したときに、この事典の独特な仕組みである監督を五十音で並べて作品は公開年で並べるということを、福島さんから提示されたと思う。易しくはないけどできると思うという反応をしました。じゃあ編者を誰にしましょうというのが出て、ぼくは山根さんにその場で電話しました。山根さんがたまたま自宅にいて、電話一本で決まっちゃった。山根さんの地獄の22年はそこから始まったと(笑)。人事異動の関係で瀧本さんが1年くらい遅れて参加してくる」

瀧本「1999年1月29日に決裁が下りて編集が始まるんですが、同じ年の秋に福島が企画開発部から外国語辞書編集室に異動になっちゃうんですよ。最初の企画の危機です。企画開発部に誰か担当をつくらないと空中分解するということで、開発部の一般職が私ひとりだけで、自動的に私に決められてしまったという」

 

【監督インデックスと解説(1)】

山根「最初に議論をみんなでやったときに、何で監督別でやるのかっていうだけで議論が沸騰して、有名監督はいいとして有名ではない監督がいっぱいいる。その人たちが撮った映画は事典に出てくるだろうか。作品事典であって監督事典じゃないのに並べ方を監督別にすると、矛盾が起こる。巨匠や名匠がいて中監督がいて、その他大勢みたいな監督の撮った作品のほうが圧倒的に多い。1本しか撮っていない人もいて、だがその作品は重要で事典に載るべきであるとか。矛盾が出て来てえらい苦労しました」

鈴木「1万9500作品載ってるらしいんですね。五十音で並べることに意味があるのか。『日本侠客伝 浪花篇』(1965)と『日本侠客伝 関東篇』(1965)の正式タイトルは何なのか。ただいきなり『浪花篇』で引く人はいるのか、とか。シリーズ名の処遇は大事で。作品は面白いんだけど作家としては大したことないというような場合は落としていいのか、とか」

山根「作品と監督名との矛盾というのはずっと引きずってきました。

 ネックになったのは戦前です。戦前には100本くらい撮った監督もざらにいて、でもフィルムは1本も残ってない。資料もほとんど残ってなくて題名だけは記録されているとか。牧野省三の説明があってその下にフィルモグラフィーが載っています。6ページくらいだと思いますが、最初に執筆者の方がフィルモグラフィーをつくったときはあと2、30本多かった。1920年代にはある映画が3年後に題名変えてまた封切られる、ということがしょっちゅうある。それを発見して後のほうはカットする、ということをして牧野省三フィルモグラフィーを固めるだけで大変な時間がかかるんです。近年でもピンク映画は、ぼくは最近あまり見に行ってないんですが、以前に3本立て見に行ったら、2本は新作でも1本だけこの映画見てるなっていうのがあるんですね。それは3本立てにするために題名を変えてるんです。そういうことが牧野省三の時代からずっとあったから、作品で拾うって大変なんです」

鈴木「監督インデックスはSABCDEの6段階(ランク)ですね」(つづく