私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山根貞男 × 鈴木一誌 × 瀧本多加志 トークショー レポート・『日本映画作品大事典』(5)

【本文レイアウト(2)】

瀧本「かな文字は詰めることができます」

鈴木「最初の見本組みでは作品名と本文との行送りを半行にしてるんですね。それを全部同じフラットな1行送りにしちゃった。メインタイトルとサブタイトルとみたいな階層を減らして、組版も階層を減らしてフラットに。フラットにすると1行空けや作品名の太いタイトル文字が効いてくる。組版も本文に見合ってフラットにしていった。

 日本語は詰め打ちをしないと、漢字の画数によって濃淡のでこぼこができる。例えば鬱という字があるとそこだけぼこっとなったりして、誌面がなかなかフラットにならないというのが日本語の組版の宿命なんですね。解消するために文字詰めをする。文字のピッチによって詰めて、均等なグレーに近づいていく」

瀧本「昔は手組みの活版で、その時代にはかなは縦にへしゃげた形の3分の2のひらがなやカタカナを使って何とかグレーが綺麗に出るようにやってたんですが、いまはInDesignなどのソフトで極限まで押し進めていただいたと」

鈴木「英和辞典なんかでも長体をかけてますね」

瀧本「横組みの場合は、左右が圧縮された長体をかけます」

山根「22年もかかって作品数も監督も増えていきましたね。厚くするだけでは対応できないですよね」

鈴木InDesignでは詰め具合いを選択できる。どのくらい詰めるかで文字の入り方が違う。そうはやってないですが、一行飛び出しがあったとかに強く詰めれば入っちゃう。調整がらくですね」

瀧本「そういうとき、活版の時代では職人さんが活字を削ったり、微妙な字間をつくるためにちり紙を詰めたりするとか手仕事の伝説が残ってます」

山根「柱がページの上に来ています」

鈴木「柱を下から上に持ってきたのが小さな革命というか転機です。英語では柱は上でないとだめらしいんですが、下の柱を上に持ってくると、ページの上の余白と下の余白が合体して余白が増える。余白を散らばすんじゃなくて固めて配置するというのがブックデザインのコツなので。余白が一見大きく見える。2002年から2009年の間にそういう変更をしていました。

 2000年代の頭にぼくは澤井信一郎監督にインタビューしてるんですね(『映画の呼吸』〈ワイズ出版〉)。澤井さんの監督作法にデザインが接近した結果なんじゃないか(笑)。澤井さんは顔で演技するな、怒鳴らないで普通に喋ろ、つまりはフラットにしろと言ってる。どうつながったかは判らないけど、ブックデザインもフラットにというのがあったかもしれない」

山根「デザインは、普通フラットを嫌うでしょ。色気がなくなるというか」

鈴木「そうです。ただそれは顔で演技しろと言ってるようなものですね。どっかで影響受けてるのかもしれない。余白の偏在で緩急をつけるっていうか。澤井さんのはマキノ雅弘直伝の作法かもしれないけど2000年代の組版が影響を与えられた」

山根「監督の紹介とフィルモグラフィーがあるんですが、戦前の監督なんかだとフィルモグラフィーがつかない監督もいる。解説だけの人が多い。編集作業上どこを減らすか考えたとき、戦前で全フィルモグラフィーを確定できない場合は(それをなくして)解説だけにしようと。いまは監督名の横に黒いバーがありますが」

瀧本「最初はそれを3種類使い分けようと。ひとつは全フィルモグラフィーがついてる監督。もうひとつは選択的にフィルモグラフィーがついた監督。最後はフィルモグラフィーがなくて解説で紹介する監督。3つ違う文様にしようとしてたんですがやめました」

鈴木「やめてフラットにしたんですね」

山根「デザイナーの仕事としては逆説的(笑)」

瀧本「全フィルモグラフィーって何だという問題もあるんですよ。定義が難しい。8mm作品もビデオ作品、テレビ映画もある。執筆規範、凡例が難しくて境目をはっきりさせられるのか。編集上3つに分けないほうがいいのではないかと。最後のラストスパートの中で1種類になっちゃったんですね」 

【ビジュアル面と装幀(1)】

山根「知らない人が見たら、映画の事典ですから写真が入ってんじゃないかとか(笑)。監督の顔写真とか。どこにもビジュアルなものがない」

瀧本「あいうえおの音見出しが真っ黒な墨ベタですけど、映画のスチールから取ってきて濃い網をかけてかすかに何の作品か判るようで判らない、という予定でしたがそれもやめた」

鈴木「“い” だったら伊藤大輔の作品とも思ったんですが伊藤大輔でいいのか、伊藤大輔のどの作品がいいのかというのがあったんでやめちゃおうと(笑)」

山根鈴木一誌というデザイナーは写真の扱いが面白いんですよ。ぼくの「キネマ旬報」の長い連載の初期は、スチールを切り貼りしてアクロバティックな誌面だった。書籍でも写真が躍動的で、それを全部禁欲なさったって画期的じゃないですか(笑)」

鈴木「2010年くらいからブックデザインが世界を可視化できないんじゃないかって気がしてきて。例えば世界を動かしている一大原理である金融は絵になるのか。昔だったら兜町の電光掲示板で金融だなって判ってもらえたけど。仮想通貨なんて絵にならなるのか。世界を可視化できないと思ったほうがいいんじゃないか。こないだも相模原のやまゆり園の裁判記録みたいなのの装幀したんですけど絵にならない。施設と献花台と判決の出た横浜地裁の建物の写真はあるけど、あの事件の表象になってるかというと全くそうは思えない。ウィルスの問題を含めて見えないことを痛感せざるを得ない時代が来てる。この事典もビジュアルをやめるという発想になっていったんです」(つづく