東京・浅草は田原町の書店 “Readin' Writin'”にてイベント“山田太一ドラマの名セリフと山田太一の愛した文学、哲学”が行われた。脚本家の山田太一先生もシークレットゲストとして登場し、30分程度のトークがあった。
山田先生は昨年倒れて以来、公の場に登場するのは初となる。聞き手は文学紹介者の頭木弘樹、里山社の清田麻衣子の両氏が務めた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
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山田「(倒れるのは)全然予期しなかったです。愉しいってものではない。全部ご破算にしちゃったみたいな感じですね。
ここに来るのも迷惑のような…。でもこんなこと2度とあるかも判らないし、みなさんの顔を覚えておこうと思って伺いました。それ以上の欲はないんですが。ここの本屋さんも只者じゃない感じがありますね。知らない本がたくさんあって。
浅草は小学校時代ですね。相当変わっているはずですが、変わってないところもある。お寺の多さとか、驚いちゃいます。それを維持している。日本人って随分お寺に対して信心深いと思いますね」
2度テレビ化された『終りに見た街』(小学館文庫)は、主人公一家が戦時中にタイムスリップする。パーマをかけるのが禁止されるなど、山少年時代に経験した銃後の生活が細かに描かれていて驚かされる。
山田「9歳で疎開して、そのぐらいで全然別のところに移ったのは特別だとか思わなかったです。ただ考えてみると、その後の敗戦後の日本を生きてきて(当時のことは)そのときの人しか知らないですね。人間ってほんとに、みんな違う人生を歩いてる。ですから敗戦までのことは、ぼく以外には書く人がいなかったんだと。ぼく以外にはって言うと言い過ぎですが、うんと大ざっぱに言えば、あんまりひとつの本にした人はいなかった。いろんなことがあっても、過ぎちゃうといっしょくたに昭和の話って片づけちゃう。少し立ち入ってみると、随分知らないことがありますね。人はいろいろなことを書くことができるし、ありえないことを書くってこともできる。ちょっとするとその時代の認識に影響を受けて、おれたちは過去を忘れたとか言って、ぼくのそのひとりですけど、あるとき思い出して書くってことをしましたね」
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『ながらえば』(1982)は、笠智衆主演で書きたいという山田先生の念願叶った作品。
山田「(就職として)松竹撮影所に採用されちゃったんですね。何かつくるという野心があってんじゃなくて、いろんなところのひとつとして大学出たときに受けて。大船の近所の小学校を借りて試験をやって、大々的なものだったですね。採用されたのは9人ですか。とても信じられなかったです。それで入ってしまって…。
笠さんは小津(小津安二郎)さんの映画に出てました。自分の時間が来るまで待っていて、面白い人だなと思ってね。そのころから思ったんですね。うちの親父と似てるわけでもないのに。小津さんのもですけど、他にも随分出ていらして。その方を主役に…。テレビの仕事しかやれなかったですから。松竹はものすごい勢いで傾いていっちゃったんで、どんどん馘になったり。ぼくは木下惠介さんについてましたんで、木下さんが辞めるんで、ぼくも辞めちゃったんですね。TBSの仕事をすることになって、じゃあぼくも辞めますと。辞めざるを得なかったですけど、辞めてよかったと思いますね」
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山田「『ながらえば』は1時間5分。(半端な長さで)民放はもとよりNHKだって普通は許すはずないのに、あのときはできちゃったんですね。非常に不思議だと思うけど。
登場人物がそれぞれの問題を、年齢、性別ごとに悩んでて、その中に笠さんの悩みもある。そのひとつひとつは違うわけですね。30代の人もいるし、うんと若い人もいるし、いろんな人がぶつかったりして頑張っている。思いがけないことを悩んでる。それぞれが悩んでるというのを書いてみようと思ったんですね。
というようなことです(笑)。ぼくばっかり喋って…」