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仲代達矢 トークショー レポート・『殺人狂時代』(1)

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 “大日本人口調節審議会”のリーダー(天本英世)は殺し屋の腕のデモンストレーションとして、無作為に選ばれた冴えない大学講師(仲代達矢)を狙う。だが大学講師は、あの手この手で襲い来る刺客たちを次々に倒してしまうのだった。

 

 岡本喜八監督『殺人狂時代』(1967)は、シュールな趣向とブラックな笑いで日本映画史に記録される傑作カルト映画。6月にリバイバル上映と主演・仲代達矢トークショーが阿佐ヶ谷で行われた。仲代氏は脚がちょっと悪いとのことだったが、快活な話しぶりだった。聞き手は時代劇研究家の春日太一氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

【『殺人狂時代』について】

仲代「この映画、34歳のときです。50年以上経ってる。正直に申し上げて、正直に言わなくても(笑)85歳になりました。どうにか現役ですが、そろそろだと思っております。さっき、ちょっと遅れたんですが片隅で見ておりましたら、こんな若いときがあったんだなと(笑)。

 私はこの前に黒澤(黒澤明)さんとか、小林正樹さんとか、成瀬巳喜男さんとかの映画に出させていただいて、硬派の役が多かったんです。あえて岡本監督を喜八ちゃんと呼ばせていただきますが、喜八さんとみね子ママ(岡本みね子夫人)が家に招待してくれて、食えないころの私はごちそうになりました。現場では監督と言いましたが、プライベートでは喜八ちゃん。私の地はちょっと抜けておりまして、あだ名はモヤ。母親がつけたものですが、モヤーとしてて何を考えてるか判らない。物心ついても言葉を発しないので、吃音じゃないのかとお医者さんに診てもらったら、吃音ではないと。そのポヤーッとしたところをご存じだったのが岡本監督で、その感じを喜劇につくりたいと。私にとっては映画での初めての喜劇で、ぽかんとしてる(笑)。都築(都筑道夫)さんの原作はございますけれども、喜八ちゃんが(脚本を)書いて、多少私に当て書きですね。仲代達矢がこんなになるんだと(笑)。喜八ちゃんが押し出してくれたんですが。

 台本を読んだら、戦争と平和の問題を底辺に置いていて…。いま年寄りが多くて若い人がと言ってますが、深沢七郎の『楢山節考』(新潮文庫)では年寄りは50で死なないと若い人が育たないと、いまそんなこと言ったら大変ですが。人口を減らすことによって戦争を起こさないというのが、この映画の底辺にあったのかなと感じました。

 (シリアスな役も素に近い役も)どっちも大変なんですが(笑)。俳優学校で3年間勉強して、先生の千田是也が本、文学を読めと。戯曲、シナリオも読め。作者が何を言いたいのか理解しろ。役者としてイメージしろ。仕事なんか来なくても、この役はこういう歩き方でこういう声だとか、3年じゃできませんけど、叩き込まれました。まず台詞の音程を決める。(『殺人狂時代』の役は)きつめの音はなくてポヤンとして、中音。テンポはのろめでやりました」

 

 仲代氏と相棒役の砂塚秀夫が、富士の裾野で砲撃されるシーンもある。 

 

仲代「34歳でしたから、体は動きました。砂塚さんは、こちらがじっとしていて向こうが活動的で、共演者としては素晴らしかったですね。団令子さんとは何本も共演させていただいて、素敵な方でしたね。天本さんは俳優座の2期生で、私は4期生でした。東大出で、ドイツ語もペラペラ。喜八監督の映画に随分出てましたね。いい先輩でした。俳優の使い方が、私のことは判りませんが、適材適所でしたね。

 岡本監督は、ラブシーンになると助監督に“頼むね”って言って外へ行っちゃう(一同笑)。照れくさいらしいどうして出てっちゃうのって訊いたら“はずかしいじゃない? 恋人でもない役者同士がキスしてるとぞっとしちゃう”って。

 (ラストは)いまだにわかんないんですが、岡本さんに訊いたことなくて、私自身の謎として残っていますね。どうだったんだろうと。全然違う作品ですが、『海辺のリア』(2017)という仲代が認知症になったらどうなるかという作品をつくりまして、その小林政広監督も若いころは喜八ちゃんのうちでただめしをいただいたそうです(笑)。シナリオの最後は、ひとりで座ってにっこり笑って終わる。これ認知症ぶってる芝居だったんでしょって訊いたら、監督は“そうとられる?” 。そう思われちゃいけないと、カットされました。この映画の兄弟は何だったんろうと、いまだにわかんないですね」  

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春日「最後での団令子さんとのシーンで、二枚目の雰囲気に変わりますよね」

仲代「そうですか…そんな気は全くないです(一同笑)」

春日「声のトーン、それまでの中音で間延びした感じから変えてますね」

仲代シェイクスピアの『オセロ』(1970)をやったことあるんですが、その前にイギリスのローレンス・オリビエが映画で、最高の低音でやってました。舞台ですけど、私も自分の出る最も低い音でやりました。役によって音程を決めていくのは、新劇育ちだからですね」

春日「このどんでん返しも、音程を変えられる役者さんだからできた部分があったのかなと思います」

仲代「お腹から声を出せとよく言われますけど、出にくいんですよ。結局は胸の声。頭音、胸の音、低いのがお腹の声。いま喋ってるのは地声。役によって声や歩き方を変えろと教えられました。そういう俳優人生だったですね」

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 『殺人狂時代』は1966年に完成したがなかなか公開されず、翌1967年にやっと封切られて興行的に失敗。

 

仲代「どっかで早く打ち切られて、歴史的な不入りだと。ぼくが主役だと客入らないんだなとこっちもひがんで泣いてました(笑)。ほんとに落ち込みましたね。ただ外国行くとすごく受ける。何なんでしょうね。イメージが違いすぎるというのもあったかもしれませんけど。29歳で『切腹』(1962)をやったりしてましたから。お客さまは前の作品と同じだと拍手してくれる方と、前はこうだったから次はどうやるんだと言って違うと拍手をくださる方と両方いると思うんですね。私は何でも屋ですから(笑)」

春日「ポスターから普通のアクション映画と思いきやあの感じで、当時の観客は驚いたかもしれませんね」(つづく) 

 

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