私の中の見えない炎

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岸惠子 × 山田太一 × 今野勉 トークショー レポート (1)

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 2月末、早稲田大学の小野記念講堂にて脚本アーカイブスのシンポジウムが行われ、脚本家の山田太一岸惠子、演出家の今野勉の各氏が参加された。

 筆者は山田先生目当てで出向いたのだが、場は岸氏中心に回っており、山田・今野両氏は脇という雰囲気だった。司会は岡室美奈子早稲田大学演劇博物館館長が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

岸惠子山田太一

 岸氏は、山田作品の中では『沿線地図』(1979)、『夕暮れて』(1983)、『東京の秋』(1985)、『秋の一族』(1994)の4本に出演している。

 

山田「岸さんは2つくらい上なんですよね(笑)。ぼくは20代に松竹で助監督をやってまして、岸さんを高橋治さんとかが“惠子ちゃん”と呼ぶんですね」

「そうですね」

山田「ぼくは年がずれているんで、とても惠子ちゃんなんて呼べない。そびえ立つような方で、素晴らしい映画をおつくりになって、テレビでやってくれるのかなって。いまでもちょっと、近寄りにくい(笑)。

 最初は『沿線地図』という作品で、電気屋のおかみさん役。岸さんはフランス帰りのおしゃれな役が多いっていうかな。あえて電気屋のおかみさんをやってもらおうと思って、それが素晴らしくて。岸さんが一点おっしゃったのが、“ムール貝”の発音がフランス語っぽくなってしまうと(笑)」

「私は嬉しかったんです。パリに住んでいてもパリ人ではありませんし、でも何となくバタくさい、かっこだけの厭な役が多かったんですね。私は大変嬉しくて。

 市川崑監督が私の恩人なんですが、あの方は私の本質を見極めていて、『おとうと』(1960)のげん(役名)はセンスも悪くて、弟のことしか考えてない。どうすればいいですかって訊いたら、監督は少し考えて、いつも口をぽかんと開けてろっておっしゃって。そのつづきが『かあちゃん』(2001)で、江戸時代の長屋のお母さん役。私を日本のしがない長屋のおかみさんとか着物一枚を着た山奥の温泉宿のおかみさんとかに持っていってくださって。ファッショナブルな女性を普段やってますので、作品にまでそれを持ち込まれるとつまらない。山田さんも(電気屋の役に)書いてくださって嬉しかった。ぴったりでしょ。もうずいぶん昔のことですけど」

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山田「そういうのを外そうって、普通に考えることかもしれませんけど。

 『夕暮れて』では、あのころ専業主婦は夫の二次的存在として生きていて、恋愛しようとする。でも男はすっと引いてしまって、そういう欲求不満の多い妻の話。岸さんとはイメージが違って、いつだったか岸さんが私のそばで、“私、こういう女大っ嫌い”って(一同笑)。でも岸さんのモダンな部分を封じ手にしたい」

「厭な役ほど当たるんです(笑)。『君の名は』(1953)の真知子さんとか。あのときはいつも涙が出なくて、目薬さして目が悪くなっちゃって。

 (『夕暮れて』では)私は不倫をする役で。(夫役の)佐藤慶さんが大好きで、打ち解けて話しやすかったですね。唄うシーンで私唄えなくて、演出の深町(深町幸男)さん困っちゃって、そこで慶さんがみんなで唄うことにしようって。(舅役の)笠(笠智衆)さんも素晴らしい方で、本当に好きなドラマでした。余計なことですけど、NHKはギャラが安いんですけど、マネージャーがギャラ上がったよって。えっと思ってよく見たら(1話分でなくて)6話分でした(一同笑)」

山田「笠さんには、機会があれば出ていただきたいと。主役でやりたかったんですけど、老人主役は企画が通らない」

アメリカ映画の『黄昏』(1981)、ジェーン・フォンダの出ていた。フランスの『まぼろし』(2000)とか、ああいうのがどうして日本ではできないんでしょう。笠さんもいいけど、女も然りです」

山田「笠さんとやりたいとしつこく言ってて、笠さん主役で単発3本書きまして。何度も何度もお願いして、やっと3本(『ながらえば』〈1982〉、『冬構え』〈1985〉、『今朝の秋』〈1987〉)」

 

 『秋の一族』での岸氏は、シンガポールで会社を経営している女性役。夫役は緒形拳が演じた。

 

山田「『秋の一族』は中年になって離婚した夫婦の話で、子どもが不正義の目に遭う。離婚して心は離れているけど、子どもの正義を守りたいために協力する。相手が悪かったと言って終わる。台詞が多くて、よく覚えてくださって」

「緒形さんの脂が乗りきっていたころですね。これもずいぶん昔ですけど。緒形さんがとっても親切にしてくれて、この後うちにも遊びに来てくださって。池部良さんとふたりで、うちの茶の間へ来て」

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岸惠子今野勉 (1)】

 今野勉氏は、ドキュメンタリー『日本の音・秋』のナレーションを岸氏に依頼した。

 

「私は声にコンプレックスがありまして、何でこんな声って思ってたのに、ナレーションをやらせてくださって。しかも自分で書いていいと。すごく愉しい仕事でした」

今野「いきなりナレーションっていうのは、ぼくも意外でした。岸さんのエッセイを読んでいて、フランスにいらっしゃるから、言葉への感覚が鋭い。『日本の音・秋』は音から日本を描いたもので。富山八尾の風の盆はひと晩踊っていて、いまは朝までやる人はいなくなったけど。ぼくは、夜明けの誰もいないときにおわら盆が通っていくというのをやりたくて。そこで、岸さん、ここのシーンのナレーションを書いてくださいって。他の部分はぼくが書いたけど、このシーンはディレクターの直感で、ぼくが書くより岸さんが書いたほうがいいと。

 そこで男の仕事を“ドスのきいた艶っぽさ”って。その場で考えてくださいって言ったとき、ああいう言葉は想像もしてなくて。自分の中の言葉を書いてくださって。どの人に頼んでも、このナレーションはなかったですね」

「録音室の中で書きました」

今野「時間のない中で、5〜10分くらいで。

 ドキュメンタリーは台本で構成を考えるけど、ナレーションは後で考える。あ、初めから書いている場合もあって、カメラマンによると吉田直哉さんはナレーションとカットを全部書いていて、ディレクターが現場に行かなくていい。そういう場合もあすけど。ドキュメンタリーにもいろんなつくり方があって、なかなかひと筋縄ではいかない。

 ドキュメンタリーの台本は注目されないけど、脚本じゃないと判らない部分もある」

「脚本はもう手元にないけど、ドキュメンタリーの資料はまだ手元に置いてます」

 

 今野勉氏と岸惠子氏は、『世界・わが心の旅』(1994)では岡田嘉子の足跡を追って、ソ連崩壊直後のロシアを旅した。その話や、岸氏がアフリカやインドへ取材に行った武勇伝もドラマティックに語られた。(つづく

 

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