私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

遠藤利男 × 今野勉 × 滝田栄 トークショー “岩間芳樹ドラマの魅力を語る” レポート・『曠野のアリア』(3)

【ドキュメンタリードラマの挑戦 (2)】

今野「その次は『望郷 日本最初の第九交響曲』(1977)。第一次大戦のアジア戦線で日独が戦って、徳島の板東という村に収容所をつくってドイツ兵を捕虜にする。軍の管轄だけど、門の前には風紀を取り締まるために警察の派出所があって、そこにいたおまわりさんが何年か日誌をつけていて、それが見つかった。岩間さんに日誌を見せて、おまわりさんから見た捕虜収容所を描くにはどういう話にしようかと。日誌に出てくるのは、金網で収容所が囲ってあったけど娼婦たちが集まってきたとか。近くの村に捕虜が働きに行くと、村娘と仲良くなって子どもができちゃうとか。すごくシリアスな資料なのに岩間さんに見せたら、でき上がった原稿はおまわりさんを主人公にした喜劇になってました(笑)。面白かったけど、全体として喜劇にしてしまうと見る人が誤解するからということで、喜劇の感覚だけ活かしてもう少しドキュメンタリー的に書いてくれと。そのかわり、おまわりさんには電線音頭で名を売ってた伊東四朗さんに。何やってもどじで、国際関係も判らなくてドイツ人と話もできないけど監視しなくちゃいけないおまわりさんにぴったりはまりました。

 ぼくはホームドラマ的なものをつくったことがなくて、世の中の流れの中の人間関係みたいな作品が多かったんです。人物関係は文書から判るんですけど、誰かと誰かがそれぞれの立場で話をしたときにどういう心情で話したか、岩間さんはすごく考えるんですね。歴史的に知られているような場面でも、岩間さんが書いてくれるとほんとにドラマになる。実際に起こったことは逸脱してないんですよ。でも心情の揺れ動きとかが繊細に捉えられて、単なる事実の再現から抜け出してる。ぼくとはすごく気が合った感じがしてました」

【『曠野のアリア』(1)】

 『曠野のアリア』(1980)は実在の歌手・東海林太郎を描いた3時間の大作。

 

今野「日立スペシャルという3時間ドラマのシリーズの4本目です。(TBSとテレビマンユニオン交互の制作で)毎年1本ずつつくっていった。歴史的な事実を題材にはしてるけど、形はフィクション。事実をもとにしてドラマをつくるというのを基本に日立スペシャルは始まったんですけど。そもそも1975年の『太平洋戦争秘話 欧州から愛を込めて』っていうのが日本におけるドキュメンタリードラマの最初って言われてて。ぼくはつくってるときにはドキュメンタリードラマって言葉も知らなかったんだけど、結果的に。日立グループがそれを見て、歴史の大きな流れを扱いながら人間を描くっていうコンセプトが面白いって、そういうドラマをやってほしいということで始まったのが3時間ドラマですね。

 『曠野のアリア』では最後のクレジットに実際の子どもたちふたりの名前が出てましたけど、そのときは健在だったんですね。最後に会いに行ったときの父親と母親とかは、岩間さんといっしょにふたりからかなり話を聴いたんですよ。どういうふうに感じたかとか。彼らも子どものときの話だからそんなに細かくは覚えてないんだけど、本人が現場を見てるわけだから得たヒントは大きかったですね。岩間さんはそういう取材は好きだったんじゃないかな。

 ぼくは秋田で生まれて、うちは床屋だったんだけど実家は農家でした。母が父は10歳くらいで家が破産して下働きに出なきゃいけなかったと言っていて、おふくろは大きい農家でそこに父が働きに来たと。下働きの男の子とその家の娘がのちに結婚することになったと。だから(『曠野のアリア』の中で)子どもが農家で働いてる。嫁入り歌は秋田の民謡で(劇中で)延々とかかりますけど、うちの実家での宴会で民謡の上手なおじいさんがいてその十八番が秋田長持ちがた。それをやりたくて、3時間ドラマで時間があるというもののあんなに延々と(笑)。お嫁さんが馬車に乗って来て、座敷に入るまでが長い。でも3時間ドラマは、ドラマに関係ないから端折っちゃおうということがない。人間がどういうところでどんなしきたりの中で生活しているかが判るシーンがほしくなるんですね。家(のセット)も、ぼくのおふくろの実家の間取りをそのまま再現したんですけど。お嫁さんが敷居をまたいで入ってくると右隣りに馬小屋があって、馬もスタジオにつれてきて。そういうバカなことを(笑)。古くから残ってる農家でロケもしてます。当時の小作人をたくさん使ってる農家で、三日三晩も宴会をやる。その雰囲気を徹底的に再現しようと。趣味と言われればそれまで(笑)」(つづく