私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

遠藤利男 × 今野勉 × 滝田栄 トークショー “岩間芳樹ドラマの魅力を語る” レポート・『曠野のアリア』(4)

【『曠野のアリア』(2)】

滝田「(劇中で)ずっと聴いてる婿は足が痺れてひっくり返るんですが、ほんとに痺れて(笑)」

今野「(滝田氏が)歌えるかどうかも知らなかったんですけど、すべての歌を吹き替えなしで歌ってもらったんですね。滝田栄のドキュメンタリーでもある(笑)。一切吹き替えなしで大丈夫かってすごくあったんですけど。稽古はしたけど、本来的に歌えたんですね」

滝田「何となく直感があって、できるかなと。『曠野のアリア』(1980)の前の日立スペシャルに声をかけてくださって、そのときはできなくて。今野さんはこっちでよかったねと(笑)」

今野「歌えるか歌えないかが大問題で、アリアを歌うなんてすごく難しいことですから。東海林太郎の歌は何とかなるだろうと思ってたけど、とにかくアリアが心配でした」

滝田文学座の養成所から劇団四季に移ったんですが、最初から歌の練習は必ずやるんで、授業の中でいちばん面白かったですね。文学座では芸大を出た先生がいましたし。東海林太郎さんの話を聞いたときにも「できるな、きっと」と思いました。ただ演劇と歌の発声は違うので、難しいところもありましたね。

 今野さんはぼくのことはほったらかしで自由にやらせて、女優さんたちを綺麗に撮る。池上季実子さんも藤真利子さんも田中裕子さんも、竹久夢二の絵が動き出したような。ぼくなんか歌ってるのを正面から撮るだけですからね(笑)」

遠藤「綺麗に撮らないと次に出てもらえなくなります(笑)」

滝田「きょう改めて見て、もうちょっとで芝居ができたなと思いましたね。今野さんがもうちょっと演出してくれれば(笑)」

今野「手を加えていいところを編集したんじゃないということを示すために、正面からワンカット(笑)。

 ラストで国境の街に滝田さんの歌が流れて、東北の娘たちが満州へ売られていく。悲しげでもなくぺちゃくちゃ話していて、ひと列車が全部女の子。あれは筋に関係ないんですね。ドラマの舞台の満州は、あのころこういうことになってたよという。そのアイディアは、岩間さんが出したのかぼくが出したのか思い出せない。何の関係もないわけだからドラマとしては異様なラストですね。ただ国境の街を歌う東海林太郎がどういう思いでいたかを具体的に見せるには、農村から満州に売られる娘を出そうと。脚本とは違う発想のような気もします」

滝田「あのシーンは、時代がイメージできてすごいと思いましたけど。大連の撮影は実際に行けるのかと思ったら、札幌ビール園でした。凍ってるシーンはどっかの低温冷蔵庫(笑)」

遠藤「『曠野のアリア』の最後のシーンはすごくいい。人間の歴史も国の歴史も含んで、無言の中で歌だけで終わるという卓抜のアイディアですよ。特に田中裕子に迫っていくカメラ。田中裕子の首筋が美しい(一同笑)」

滝田「ぼくにも迫ってほしかった(笑)」

遠藤「ぼくは岩間さんに思ってた感覚が『曠野のアリア』によく出ている。私とは世代が近いんです。中学2年生のときに敗戦になりました。ともにした歴史感覚や時代感覚があってホンをつくるときに共感している。大所高所からつかまえる力と、中に入って小さいことや弱いことにも優しい目があって描いている」

【『ビゴーを知っていますか』と合作ドラマ (1)】

 画家のジョルジュ・ビゴーを描いた『ビゴーを知っていますか』(1982)の演出・村上佑二氏は、体調不良により欠席。

 

遠藤「村上くんのやった『ビゴーを知っていますか』は日仏共同制作。若いころから日本のドラマがどういうふうに国際性を持つのか、国際的な眼で日本の歴史や現実を見つめていけるドラマをつくりたいと思っていて。国際化を進めようとしていて、生まれてきた企画です。私は部長か何かで現場を離れてたんですが。アンテンヌ2と共同制作でやって交渉の足掛かりをつけたのは私ですが、題材を選んだのは村上くんたちです。

 BBCとかZDFとかともやるんですが、向こうの人と日本の作家とは歴史観とか現実とかの中でどういうふうに人間を描くかという基礎のところが共有できないんですね。それと向こうは話を始めると、いつまで経っても議論が終わらない。その議論に日本の作家は耐えられない。私もいい加減にやめてくれと思うんですが、フランス人同士でも喧嘩みたいな議論を始めていつまでもやってる。そういう議論好きなんですが、岩間さんはそういう中に愉しんで加わっていけるんですね。広がりを持っていて、向こうの視点にこちらの視点をぶつけていける。『冬の旅ベルリン物語』(1991)とか『ザ・ラストUボート』(1992)もそうですね。作家にとっては過酷な時間ですよ。日本の作家は部屋に閉じこもって、書きあがって「直してください」って言ったら、てにをはを1字か2字直すだけ。そういう人が大作家と言われてるんですが、そうじゃなくて議論しながら進められる。日本の放送作家の中ではずば抜けた広がりがあったと」(つづく