私の中の見えない炎

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ホンマタカシ トークショー レポート・『きわめてよいふうけい』(1)

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 写真家・中平卓馬の60代の姿を追ったドキュメンタリー映画『きわめてよいふうけい』(2004)。中平は伝説的な評論集『なぜ、植物図鑑か』(ちくま学芸文庫)でも知られるが、発表後の1977年に倒れ、記憶と言語に障がいが残った。

 2月にリバイバル上映とホンマタカシ監督のトークが行われた。聞き手はカメラマンの山崎裕氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

ホンマ「中平さんの写真は森山(森山大道)さんたちみたいにやってたのが、記憶の障がいがあったことによって、劇的に変わったというところに興味があります。そこまでスタイルを大きく変えるというのは、正気じゃ無理ですね。写真史上でもいなくて」

山崎「1973年、倒れる前に『なぜ、植物図鑑か』を出しています」

ホンマ「ものすごく重要な本ですね。でも中平さん自身も倒れるまでは(本での主張を)実現できなかった。倒れたことによって、植物図鑑みたいに撮るということを実践できた。そこにぼくはものすごく惹かれました。記憶を失ってからの作品は普通の人じゃ撮れないっていうか。

 (撮影を始めたのは)2001年か2002年くらいかな。映画を撮る前にも普通に会いに行ってて。2004~2005年にCMとかをやっていたんですが、まだぎりぎりフィルムが使えたんです。そのころに是枝(是枝裕和)さんたちと日産のコマーシャルを4年間ぐらい同じスタッフでやらせてもらいまして、ずっと16ミリを使ってたんです。そのときの余ったフィルムを…(笑)。一切スポンサーはいないんで、全部自腹でやってるんで。余ったらフィルムをもらったり、現像もいっしょに出したりして何とかつくったんですね」

山崎「最後のほうはフィルムじゃない映像ですね」

ホンマ「中平さんとおつき合いさせていただいて、ビデオも撮っていたので。ぼくはいわゆる映画監督じゃなくて、使わない手はないんじゃないかと。反対されたりもしたんだけど、入れてみようと。映像の質感は16ミリと違いますけど。最初は理屈で考えていたんですが、途中から中平さんのことが大好きになっちゃって、亡くなる寸前までつき合ってました。だからその後の中平さんで更新したいということで、新しいビデオも入れてあります。中平さんの奥さんにも取材したり、お姉さんも撮ったりしたんですが難しくて、使っちゃだめみたいな。

 きょう控室で足立(足立正生)さんにお会いしましたけど、ぼくは足立さんたちの『略称・連続射殺魔』(1975)っていう風景映画が好きで見てたんですね。それで沖縄のシーンでは風景がただただつづくというのをやってみました。

 この作品では中平さんの著作も読んで、一応キャプションにも反映させています。その後にもドキュメンタリー映画的なものをつくってるんですけど、出会った中で得た素材だけでやるほうがいいかなと思って、バックグラウンド的なものは呼び込んでいないんですけど。

 中平さんは日々ものを忘れちゃうことを恐れて、毎日日記みたいなものをはがきに書いてたんですね。それを順番に撮影して、朗読してもらいました。その中に「きわめてよいふうけい」と書いてて、タイトルにしました。撮影の1年後には、あれもやらなくなっちゃって。最初に公開したときには中平さんが何言ってるのか判らない、日本語のテロップつけろって言われたんですけど。でもいま考えるとぎりぎりで朗読もしていただくことができて、2~3年後にはもっと言葉も判らなくなっちゃって。ビデオの映像の段階では、もう会話はできない状態でしたからね。改めて見て、自分の映画なのに「ああ、中平さんだな」って中平さんの姿に感動しました」

山崎「中平さんの失った記憶を、ホンマさんがいっしょにさまよってるような感じがしました」

ホンマ「諏訪(諏訪敦彦)さんと大学院でドキュメンタリーについての授業をやったときに何がドキュメンタリーかという話を結構したんですけど、小津安二郎さんの作品に笠智衆さんが出てて、3歩下がってここまで来いとか完璧に指示してますけど、何作か出て10年経った笠智衆の体が映ってるのはドキュメンタリーだよねというようなことを諏訪さんがおっしゃって。ぼくもそうだなと思って。ぼくは映画監督じゃなくて、ある意味で自由な立場ですので、中平さんの体のふるえみたいなものが映っていればいろいろ説明しなくてもいいやという」(つづく