【伊那小学校春組の学習(2)】
是枝「(『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』〈1991〉を)撮り始めたときは、東京で心が傷むと行くっていうただの逃避だったから。いま偉そうに喋ってるけど、つらいと思うと夜行列車に乗って伊那まで行くとみんなが快く迎えてくれて、百瀬先生が給食をひとつ多めにとぼくの分を用意してくれて。そうすると是枝さんはどの班といっしょに食べるかでみんながじゃんけん。東京では帰れって言われてるのに(一同笑)。甘えてただけです。
(3年間のうち)東京での仕事もありましたから、ときどきサボって行くぐらい。素材は300時間ぐらいで、3年撮ったにしてはそんなに多くない。(ひとりで撮ったのは)作品になるかどうか判らなかったので。放送を前提にして撮っているわけではない自主制作でしたから。得体の知れない青年が「放送するか判らないんですけど撮らせてください」って(笑)。学校はどうぞって入れてくれて。ぼくはいろいろと学ばせてもらって、ぼくにとっても学校でした」
会場に来られていた百瀬司郎氏が客席から発言した。
百瀬「映像の中では子どもをどやしてた悪い担任であります(笑)。伊那小は子どもの主体性をうんと大事にする学校で、私も学ばせていただいたというか。春組は1年生から6年生まで担任してまして。普通の学校なら教科書通りに1時間目2時間目とやって行くんですけど、根底に何かの題材を入れて意欲を生み出しながらやっていたということですね。牛という題材をもとにすべての教科に取り組む。ローラのために算数の計算をやろうとか絵を描いてあげようとか、いろんな学習が派生していく。ローラにつながっている」
是枝「ぼくが見てると先生が愉しそうなんだよ。大変だけどやりがいがあるだろうな。先生が愉しそうだのは子どもも判るじゃない? 牛の世話は大変だけど夏休みも百瀬先生は毎日来てたよね。世話をする子としない子が出てきたときに、先生があれだけ頑張ってるんだからやろうよみたいなやり取りをしてるんだ。聞いてて感動したな」
【ドキュメンタリーとローラ(1)】
是枝「いま300時間の素材を見直してつくり直したら違う編集をする気がする。帰りの会で◯◯くんがさぼりましたみたいな吊し上げがあって、その子が泣き出すと許してあげようかっていう子と泣いたって許さないって子といて。残そうかどうしようか、リアルなんだけどこれを残すと吊し上げられてる子がかわいそうだな。やや遠慮して削ってるんですけど、そういう真剣勝負は面白かった。葛藤はあったし、ぼくの存在は消してつくってるんだけど、このクラスの子たちは取材にすごく慣れていて、カメラがいても話しかけてくるし。授業中にぼくがパンすると、カメラを向けられた子が授業をちゃんと聞きながらピースしたり(笑)。そこは切ってる。いま編集するならぼくがそこにいることも含めて番組にするような気がする。このときは自分の存在を削いでいるんだけど、いまだったら変わってくるんじゃないか、別の捉え方をするんじゃないかな。カメラが入ったことによってその場の情況が変わってしまう、その点も含めてドキュメンタリー。ドキュメンタリーは客観的な事実を撮るものではなくて、カメラがいることによって既に変わってしまう。みんなが「今度いつ来るの?」「是枝さん来ると先生が怒らないからいい」って(一同笑)。そのうちぼくがいても百瀬先生が怒るようになって、ぼくが目の前で撮っても先生は気にされなくなって。ようやく受け入れられたなって感じがしたんだけど、そういうありようの変化は画面には明快に出てはいない。ドキュメンタリーについていまは違う考え方だってことです。
それ以前に小川紳介や土本典昭とかドキュメンタリーは見ていたけれども、自分で買ったカメラのファインダーのぞいた瞬間に客観ではないと思った。ぼくが切り取った子どもたちの様子はね。撮る側と撮られる側の関係を撮っていくんじゃないかな。それは劇映画のとは違う、カメラと被写体とのありようなんだろうと考えるようになった。いまドキュメンタリーを撮るとしたら、それを抜きにはできない。紐解くとみんないろいろ議論はしてるんですよ。カメラが入ることによって変わってしまった現実を撮るしかない。この後にぼくはフィクション(劇映画の方面)に行くからさ、両方やると余計に際立ってくるんだよね。フィクションではないものとは何かって考えると、ドキュメンタリーはカメラがそこにある情況を撮るものだろう。フィクションはあたかもカメラが存在していないようにする。カメラを作品の中に残すか残さないかってことに意識的になりました。このときはまだ無自覚だね」
途中でローラが赤ちゃんを産むが、すぐに死んでしまう。
是枝「ローラの死産は、ぼくは撮れてないんですよ。お葬式も撮れてない。百瀬先生が撮ってくれた写真で構成してるんだけど。あの時期、ぼくは東京でドラマの撮影が入ってて行けなかった。あのときは地元の放送局が取材に入って、お葬式メインで30分くらいの番組にしてるんですよ。最初は大事なところ撮れなかった!って思って。ただ終わった後に行ってみたら乳搾りが始まっていて、子どもたちの中で確実に何かが変わっていたんだよ。それまでは愉しいイベントだった乳搾りが、愉しいけど悲しいものに変わっている。こっちのほうがドキュメンタリーだって思ったわけ。結果的にお葬式の悲しさに引っ張られなかった。撮ってたら使わざるを得なかっただろうし、撮れなかったから他のところにぼくの意識が向いて、死を経験したことで成長した子どもたちが後半のテーマになっていった。ローラの死産の詩が出てくるのは、国語の授業でつくったんだね。先生にいまこうやってるって見せてもらったんですね。朗読してもらったのは、恥ずかしいから厭がる子もいたんだけど」(つづく)