私の中の見えない炎

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森達也と『100人のバカ』(佐高信・岡留安則編著)(1)

 『A』(角川文庫)や『職業欄はエスパー』(同)、佐村河内守を描いた映画『FAKE』(2016)などで知られる森達也。その森が佐高信岡留安則編著『100人のバカ』(七つ森書館)をかつて書評で取り上げた。編者の佐高は「『噂の真相』に連載された「7人のバカ」に岡留編集長と私の対談を加えてまとめたものだが、映画監督で作家の森達也さんの書評が一番おもしろく、ありがたかった」という(『田原総一朗への退場勧告』〈毎日新聞社〉)。

 月刊誌「噂の真相」には、90年代後半に毎号7名の著名人をこき下ろす匿名コラム「七人のバカ」があった。そのコラムを単行本化したのが『100人のバカ』で佐高は「はじめに」でこう述べる。

 

休刊中の「噂の真相」に私は「タレント文化人筆刀両断」を連載していた。それはいま、同じタイトルで「ちくま文庫」に入っているが、1カ月に1人を取り上げるそれでは、こぼれる人も出てくる。そう思っていたら、同誌で「7人のバカ」という連載が始まった。

 筆者名はなかったが、何人かの人が手分けして書いていたのだろう。だから、その連載は私の「タレント文化人筆刀両断」と相補う関係になっていた」(『100人のバカ』)

 佐高の「タレント文化人筆刀両断」は「1カ月に1人を取り上げ」て批判していたけれども「7人のバカ」は一挙に7人を非難できるというわけである。

 「噂の真相」の編集長だった岡留安則はより詳しい事情を「あとがき」に記している。

 

「「噂の真相」は特集記事からコラム記事まで、オピニオンリーダーやパワーエリートと呼ばれる社会的影響力の大きい人物の知られざる実像を積極的に公開することを雑誌づくりの基本にしてきた。それもなるべく知名度のある人物を反権力・反権威スキャンダリズムの視座で取り上げ、切り口も真正面から直球で斬るというスタイルにこだわってきた。しかし、こうした直球型の記事は書かれた側のダメージも大きいために抗議やトラブル、時には裁判沙汰になるというリスクが常につきまとっていた。

 そうしたリスクを多少でも回避すると同時に、特集で取り上げるほどのネタではないが看過できないメディア上での文化人たちの発言や記述を拾い集めて、ジャブ程度でもいいから批判しておこうというのが「7人のバカ」の狙いだった。タイトル通り、毎月7人の人物をとりあげていたが、テレビから雑誌までの幅広いウォッチを1人に任せたら大変な労力を要するため、7人のライターが手分けして1人1本を匿名で書くという方法をとった。そのために書くライターによっては切り口の視点やスタンスが微妙に違っている。当然、全体のバランスや統一性を維持するために編集部のチェック入れたが、それぞれのライターの個性をなるべく生かすことを心がけてきた。したがって、このコラムは必ずしも「噂の真相」の編集方針に合致したものだけ取り上げたというわけではなく、人選や切り口じたいもよりアナーキーなものになっているはずである。

 「噂の真相」における直球型コラムの代表格が佐高氏の「タレント文化人 筆刀両断!」だとすれば、この「7人のバカ」は高橋春男の「絶対安全Dランキング」、ナンシー関の「顔面至上主義」の路線に近いチェンジアップ手法のコラムだった。かなり辛辣に書いても、書かれた本人がマジに怒ったら逆に笑われてしまうというのが、このチェンジアップ・コラムの強み、武器となった。筆者が記憶する限り、抗議や裁判沙汰になったことは一度もなかったことが、その何よりの証明になるだろう」(『100人のバカ』)

 

 「7人のバカ」は佐高や岡留が執筆したものではない。だからというわけではないが、このコラムは確かに「アナーキー」で歳月を経たいまとなっては資料的価値も感じられるにしても、特段に面白くはなかった。

 

噂の真相」が雑誌としては前代未聞の黒字休刊を断行した前後に、足立三愛氏のとびらイラストから「一行情報」、半ページ強のコラム「撃」までほとんど全部の連載企画が単行本化された。その様は、まるでハゲタカ・ファンドのごとし、だった。理由は佐高氏も「まえがき」で述べている通り、休刊宣言よりもはるか以前に単行本化の話を持ち込んできた出版社が、発刊を目前に潰れてしまうというアクシデントに遭遇したためである。」(『100人のバカ』)(つづく