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本多勝一と岡留安則・上級国民とゲリラの戦い (1)

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 数々の攻撃的な毒舌記事を放った、スキャンダル雑誌「噂の真相」。

 筆者は中学生だった90年代から2004年に休刊するまで愛読しており、その時期に連載執筆者だったジャーナリストの本多勝一岡留安則・「噂の真相」編集長とが激しく対立した事件があった。当時の筆者は本多が一方的に悪いという印象を持ったのだが、いまとなっては、両者には似通った部分があるようにも思える。

 本多勝一朝日新聞社に在籍していた1986年に「噂の真相」にコラムを執筆し、定年後の1993年からも連載していた。本多と岡留編集長とは一応は良好な関係で、1996年に広告をめぐってやや揉めた際も、岡留によれば本多の来訪による話し合いで決着していた。

 

週刊金曜日本多勝一編集長が編集室を訪問(引用者註:当時の本多は「週刊金曜日」編集長を務めていた)。一杯呑みながらではなく、シラフのまま編集室でTBS問題など業界事情をあれこれ語りあう。本多サンとしては今秋までに社内体制を整えた後、「金曜日」の編集現場を離れてライフワークの全集刊行に専念したいという希望があるが、それが実現出来るかどうかは、適任の後継者が見つかるかどうかにかかっているという」(「噂の真相」1996年7月号)

 

 だがこの翌1997年、本多の友人である作家・灰谷健次郎に女性問題がささやかれていることを「噂の真相」は報じた(1997年10月号)。本多は連載コラムでいち早く反応している。

 

「噂」の真相を売り物にする本誌が、ありえぬデマをとりあげたことだ。その記事自身で「謀略情報といった感じの信じがたい話」としながら、なぜそんなものを書くのか。「接待の席で「女を呼べ」とか」「講演には灰谷さんのファンの方が集まるんですが、何とその中の女性に声をかけて、一夜をともにするようなことも」といったことは、以前から灰谷氏を個人的に知る一人として全くありえない」(「噂の真相」1997年11月号)

 

 岡留は「編集長日誌」欄にて反論した。

 

たとえ人権派と思われている人物でも背後に虚飾や偽善のにおいがあれば追及するのは当然との認識を持っている。本多さんの頑固な思い込みのパターンは、何とかならないものか」(同)

〈灰谷氏を知る一個人として「全くありえない」〉」と書く本多氏は灰谷氏の日常生活を全て把握した上で「全く」と書いているわけではなく、やはり「思い込み」ではないのか」(「噂の真相」1998年1月号)

 

 灰谷健次郎をめぐって本多と「噂の真相」とが揉め始める少し以前に「Views」1997年1月号(講談社)が、朝日新聞社の記者たちがリクルートの接待を受けていたと報じた。1987年にスキー旅行でリクルートコスモスの運営する「ホテル安比グランド」を利用した際に、宿泊費やリフト代を一切払っておらず、そのメンバーに本多や彼と親しい疋田桂一郎が含まれていたとイニシャル扱いで記されている(岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』〈講談社文庫〉収録)。その後、疋田が講談社の上層部を通じて「Views」編集部に圧力をかけたと「噂の真相」1998年2月号は非難した。 

新聞が面白くない理由 (講談社文庫)

新聞が面白くない理由 (講談社文庫)

この「噂の真相」の記事は本多らの接待疑惑そのものを糾弾したものではなく、講談社上層部に対して圧力をかけた事実を「ジャーナリストとしてはいかがなものか」という意味で批判したものだった。むろん、この記事にも「Views」にもホンカツの実名などは一切登場していない」(岡留安則『編集長を出せ!』〈ソフトバンク新書〉) 

 

 この記事が本多の怒りに油を注ぐ結果になり、本多は「噂の真相」批判を連載コラムで7~8か月に渡って書き連ねることになる。

 

本誌の記事の筆者が、当事者たる疋田氏に全く取材せず、ちょっと会えばわかる話を聞くことさえせず、つまりは現場取材にあたることを一切せずにこんなヨタ記事を書いたことにあります」(「噂の真相」1998年4月号)

 

 本多による岡留批判が岡留の編集する月刊誌に毎号載ったわけで、珍なる眺めではあった。岡留は「しばらくこれを放置してやりたいようにやらせておいた。時間がたてばいきり立っている頭も少しは冷えるのではないかと、ホンカツのジャーナリストとしての良心や改心の余地に期待し、信じていたのだ」(『編集長を出せ!』)と回想するが、何か月も我慢した岡留の度量に当時の筆者は感嘆して、本多に悪印象を抱いた。ただ歳月の流れたいま、自身や疋田への取材がなかったという本多の主張にも理があるように感じられる。また本多の実名が出ていないとはいえ、連載執筆者の関わったかもしれない不祥事を掲載するのに事前に連絡しなかったというのは、悪意を感じなくもない。

 やがて「Views」の記事を執筆した岩瀬達哉に対して、本多は「人間のクズ、カス」などとヒステリックに罵倒(「噂の真相」1998年5月号)。1998年10月号をもって、コラム連載は打ち切られることになった。本多と岡留の対立は激化していき、ふたりはそれぞれに「週刊金曜日」と「噂の真相」で非難し合うことになる。

 だがそのはるか以前の段階で、既に両者の見解の相違は大きかった。その約10年前にTBSのニュースキャスターが写真週刊誌「フライデー」1988年5月20日号に撮られたことをきっかけに番組降板に追い込まれた際、本多は批判していた。

 

盗聴事件においては、盗聴された被害者はいうまでもなくすべて無罪であり、社会的にも「社内」的にも、支持や同情されこそすれ、糾弾されたりムラ八分にされたり、いわんや「盗聴された」といって「された側」がクビになるなどありえないことです。

 ところが「フライデー」の今回の盗撮事件はどうですか。盗撮したカメラマンはもちろん、それを公表した編集者なり責任者(講談社社長)なりが刑事犯の対象になったでしょうか。社会的あるいは「社内」的に糾弾されたでしょうか」(『貧困なる精神 A集』〈朝日新聞社〉)

言論の自由とか表現の自由とかであれば、盗聴や盗撮も許されるのだ、というわけじゃありませんね」(同上)(つづく 

 

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